7章への憧れはそれ自体が蓋になりやすいと思います。
これをすれば7章の認識になれるみたいな型にはまろうとしてしまうから。
人の体験よりも、マニュアルよりも、今自分が何を感じてるかに気づくことだと思う。
まだ別の領域の実感がないひとは、とりあえず自分を観ている立場に気づきましょうってことで、自己観察を提案しています。
別の領域に浸るというのは、自分を観ている立場を、もっと深く感じて信頼しましょうってことです。
別の領域は愛だの無限だの、やたらと壮大なところだけど、高い次元のものほど、精妙で感じ取りにくいんじゃないかと思います。
振動数の高い状態だとエネルギーとしてしか存在できなくて、その回転を遅くしたものが物質化する、だったかな?
なので慣れないうちはわからなくて当たり前くらいの気持ちでいてください。
感じる人の性格によっても、淡々と感じる人もいれば、感動やさんもいるだろうし、感覚を言葉で表現することによっても、言葉の価値観って人によって違うものだしね。
本当の自分が今の現実を経験したかったなら、本当の自分は喜びばっかりの人生を今後選んでくれるのか、自分の願いが叶う事をえらんで貰うにはどうすればいいかとか考えて、混乱してしまいました
本当の自分については、エゴにとっては理解不能なので、あんまり考えなくていいですよ。
今の自分の生活の中で自分を観察してると、エゴであれこれ考えてるよね。
自分の願いが叶う事をえらんで貰うにはとか本当の自分はみたいに、答えの出ない思考をぐるぐるしてたり、現実の出来事に対してだったり、過去や未来を想起して不安になったり、不快に感じたりすることとかあると思うんだけど、そういうエゴの働きを客観的に眺めてることはできるかな?
あとは、その自分を観察してる視点を、なるべく頻繁に意識することかな?
私はもう苦しむのはやめて、ゲームの難易度を今よりも下げたいです。
あなたは、ぐるぐると思考に反応している自分に気づけていますか?
別の領域というのは白紙状態、ゼロポイントなんですね。
なので、別の領域で望む現実を選ぶときに、現状よりも難易度の低い状態を……という発想にはならないんです。
そして別の領域で意図されたとき、エゴで執着できないと思います。
現状を前提にして難易度を下げようとするのではなくて、単純に望む現実をリクエストしたらいいと思いますが、それがむずかしいなら自己観察をおすすめします。
別の領域は、いったこともないような、きらびやかな場所とか厳かな場所とかじゃないです。
え、ここ?てかいつも来てるけど。みたいな知ってる場所です。
ただ、今まで知ってたその場所に、不動の何か、確かな何か、人によっていろんな体感があると思うけど、今まで気づけなかったものがあるんです。
世界は本当に美しい、そして自分も世界も完璧だと、理屈ではなく本当に自然にそう思った。
認識が変わると、今までのエゴエゴ だった自分があまり思い出せなくなるよ。
だからどう表現して書けばいいのかわからないとこもあるんだけど、うまく伝わるとうれしい。
気づかせてくれるためにわざとわかりにくく書いてくれる人もいらっしゃるし、確かにいろんな人がいるから説明が難しいんだけど、実践していけばわかるよっていうのが全ての答えなんだよね
でも結局、簡単で楽な方法しか言ってないんだよね。
1つの不足を感じきっても、本当の私は色々経験したいから、あれやこれや手を変えて不足を送り込んでくるんじゃないですか?
完璧しかないと完璧がわからないので、その完璧を知るために、創造のプロセスや不足を体験したかったということです。
最終的には本当の自分が、一体どういう存在であるのかということを知りたくて、人生のすべてが展開しているのではないかなーと思っています。
なので別の領域を体験することは、肉体として生まれた意味がなくなることではなく、むしろ、いちばん体験したかったこと、ずっと待ち望んでることなんじゃないでしょうか。
そして不足を苦しいと思うのは、本当は自分が不足と相容れない存在だからです。
例えば苦しい体験だったとしても、自分を責めたり他人や環境を恨むだけだったとしたら、ひとつの体験を終えられても、なかなかその苦しみの連鎖は終えられないと思います。
そうではなくて、苦しい体験をしたからこそ人に優しくできたり、愛や感謝することを知っていき、人は成熟していくのではないかと思います。
だから不足そのものを味わいたいのではなくて、そこから得られるものの中に、本当の自分と同じ属性のものを感じたいと思ってるのだと思います。
だからちゃんと感じきっていれば次から次に不足がくることはないと思いますよ。