【方法論】【クレシフト実践編】潜在意識でなりたい自分になる方法【クレさん】

達人part
質問さん
質問さん

究極的には、特になる必要性もないんですよね?

達人さん
達人さん

必要があるともいえるし、ないとも言えるかな。
「願いは叶う」という観念を持って、生きてきていない限り、認識の変更は、必ずどこかでされるはずだからね。

質問さん
質問さん

なるについて質問です。
なっている私になっても、なっている気分になれない時は、どのように考えたりすれば、なってる私の気分になれるのでしょうか?

達人さん
達人さん

私は「なっている気分になれ」とは言ってません、「なれ」と言っています。
なるになりたい、というのは、「本番のためにする練習のための練習」みたいになってしまっています。

一つだけポイントを言います。
「なる」とは、現実に対する認識、レッテルの変更、レッテルの張替えです。
あなたがそうやって、認識の変更を現実に依存させる限り、認識が変わるわけがない。
つまり、「望む私になる」のは難しい。
現実とは関係なく、なる、というのはそういうことです。

そして、ポイントを押さえたら、肩の力を抜きましょう。
真剣であることはいいですが、深刻にならないようにしましょう。
必死さは、なることの気軽さとは相反します。

質問さん
質問さん

なった、けど、現象化が気になる自分に、何かアドバイスください。

達人さん
達人さん

それはなってない。
なった時点で、望みが自分の前提となり、望みは実現する。
実現と現象化を、分けて考えていては意味がない。

質問さん
質問さん

実現と現象化を分けるっていうのは、どういうことですか

達人さん
達人さん

今叶えて下さい、といっても、叶えましたけど現象化はいつですか?みたいなものです。
それは言葉を変えただけで、いつ叶うんですか?というのと、何も変わらないでしょ。

質問さん
質問さん

みんなが躓くのは、なる感覚っていったいどういうのかな、というところだと思います

達人さん
達人さん

感覚は表現しようがない。
自分の性別についての感覚ってわかるか、わからないだろう。
それと同じレベルで、当たり前の感覚になる。

願望について考えてしまっても、別にいいだろう。
本当に「なった」ら、あまり考えなくなると思うけど、私はたまに思い出していたよ。
「ああ、金は今度入るなあー」とか、「ああ、今度はああいう人と出会いたいなあー」みたいな感じで思い出していたけど、別に何の問題もなかったね。
そこまでしなくても、「いつ叶うのかな」などと思ったときに、「いや、それは叶っている前提だったな」と反応していれば、問題に感じることはないだろう。

質問さん
質問さん

なるってめっちゃ簡単に、しかもすぐに現象化しそうだから、みんなマスターしたいんだと思う。

達人さん
達人さん

わかるよ、確かに「なる」は魅力的だ。
中途半端に胡散臭いが、それ故に夢中になってしまう。
一方で、自分で実感できないと、不信感も残ってしまい、いまいち実践しずらいし、そしてループにハマって、疲弊しやすいだろう。
だから、私は繰り返し繰り返し、「心のゆとり」が必要だの、「そこまで価値のあることではない」ということを主張した。
叶えることに夢中になって、逆に疲弊するほどバカらしいことはないだろう。

達人さん
達人さん

でも、一応言うけど、「なる」って、すげー簡単な話なんだよ。
質疑応答を重ねるほどに、徐々に迂遠になってる気がするよ。

質問者ん
質問者ん

なるの感覚を、一度つかみ掛けたのに混乱してきた、難しく考えすぎなのかな

達人さん
達人さん

なるとは、レッテルの張替えであり、あとは迂遠な説明だ。
なるで疲れるなら、私の話は捨て置いた方がいい。
なるに振り回されては意味がないからな。

質問さん
質問さん

悩みごとは、悩むのをやめたら解決するのと同じで、なるも、なったとか、なっていないとかを考えるのをやめたら解決するっていう、単純で・簡単なことだと思う。

達人さん
達人さん

私もそう思う、それを気にしなくなればいいだけだ。
神様にお願いできたかどうかを手放せればいいのと、同じことだ。
というか、なると、それについて考えなくなるね。

質問さん
質問さん

彼に惚れられている私になったのに、うまくいかないのは、期待してしまったらダメなんでしょうか

達人さん
達人さん

「望む私」になったのに、「期待する」ということはありえない。

質問さん
質問さん

現実をシフトしたら、彼に惚れられているのは当たり前だから、不安になることも心配することも、期待することもない、ただただ望む私に焦点をあわせ続けるということでしょうか?

達人さん
達人さん

堅苦しく言えば、まあそんな感じかもしれないけど、もっと単純な話だ。
「期待する」ということは、「ない」ということだ。
「望む私」になるということは、「ある」ということだ。
「望む私」になったのであれば、期待するということはありえない。
「ある」と「ない」は両立しえないんだよ。
期待しているということは、「なっていない」と言っても差し支えない。

ただ、別に期待するなと言ってるわけじゃない。
今「ない」と認識している自分に気付いて、その認識が変更されれば、それでいいんだ。
メソッドは、その認識の変更を促すものだ。

私は「なる」を、メソッドと言ったことはないと思うけど、別に新しいものでも特別なことでもない。
在り方のうちの一つだと私は思ってる。
それがたまたま、メソッドと同様の効果を発揮しているだけだ。

質問さん
質問さん

なるということと、なりきること、振る舞うことの違いがよく分からない

達人さん
達人さん

「なりきる」とか「振る舞う」っていうのは、「今はそうじゃないけれど」、というのを前提にして、「そうであるかのように振る舞う」わけでしょ。
それは言わば、擬似体験みたいなものだ。

これに対して、「なる」は、それそのものになれ、ということ。
「今はそうじゃないけど」というのを前提にしない。
今、まさにそれになることだ。

質問さん
質問さん

実際にモテるようになったわけでもないのに、モテる自分になれっていうのが、意味わからないのかもしれない

達人さん
達人さん

「実際にモテるようになってから、モテる私になる」、というのは,当たり前のことだろ?
引き寄せの法則がなかったとしても、当たり前過ぎる。
引き寄せの法則という前提で話をするときに、「証拠を見つけてからそうする」というのは、極めてナンセンスだ。

「現実は内面の投影である」というのと、「認識の変更により、現実が変わる」というのが、少なくともチケットの内容のはずだ。
それならば、望む自分そのものになれば、現実がそうならないはずがない、ということだ。

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