【方法論】「無条件で幸せになる」願望が実現しようがしまいが、あなたは幸せである、ということです。幸せな人も、何かを望んでいいんです。幸せな人の願望は、とても叶いやすいんです。【画家さん】

体感・気づき・方法論
質問さん
質問さん

私は仕事でよくムカついてて そのムカついた感情を受け入れて、感じきることをしてるんですが、あぁ私はやっぱりムカついてるなー、って感じで、ムカつきの再確認するだけになってしまってます。

達人さん
達人さん

私はやっぱムカついてるな、これに気付けるだけですばらしいです。

私は怒るような人間ではない、っていう具合に、我々は自意識で自分を飾ります。
そして、感情を抑え込むんです。
抑え込まれた感情は、凝固して、或いは停滞して、恒常的な気分を害するようになります。
これが、感情障害の例です。

感情を再認識できたら、それを体で感じてください。
勿論、怒りなら、声を出すとか、モノを壊すとか、直接外へぶつけるのもアリですよ。
時には、相手に表現することさえ、自然な場合があると私は思います。

体で感じる、そして、じーーっと見ている、そして、動きが止まったらトントン叩いて終了です。

質問さん
質問さん

自分を愛そうとするとき、自分より劣っている人、不幸な人を引き合いに出してきて、自分を愛そうとしてしまいます。
あの人に比べたら、私の方がマシだよねっていう感じです。
こういう愛の感じかたはまずいですか?

達人さん
達人さん

まずくはないですが、ただ無条件になっていない、ってことだけです。

私は○○だから愛する。
私は○○だから嫌だ。

実は、これらは同じなんです。
○○というのは、条件です。
つまり、条件付きの愛です、そして条件付きの嫌悪です。

自分を愛する、というのは無条件に愛するのです。
何もなくてもいい、金も、地位も、美貌も、才能も、何にもいりません、そのままそっくり愛します。
何何だから愛する、といううのではありません。
理由もなにもいらないのです、寧ろ邪魔です。

あなたの場合は、まずは他人と比較した状態で愛を感じて、その感じを維持したまま、だんだんと比較した条件を取ってゆく、という感じでもいいかもしれません。
○○という条件が無くても、愛を感じることができるといいです。

質問さん
質問さん

私は自分を愛するのに、条件を必要としてしまうのです。
何故なら、今のままの自分では好きになれないから、つまり自分が嫌いなんです
今はまだ、無条件の愛の感覚はわからないけど、チャレンジしてみます。

達人さん
達人さん

暫くこんなことをやってみて下さい。
自分を愛してあげているとき、何か愛せないと感じる部分が出たら、それでもいいんだよ、と言ってあげる。
愛せない部分がまた出たら、それでもいいんだよ、と言ってあげる。

どんな自分であっても、愛している。
嫌だと思う部分も、良いと思う部分も全部、愛している。
ああ、嫌だ、それでもいいんだよ、と、ひたすら心地よくある。

難しく考える必要はありません。
お母さんに抱かれているように、自然に抱かれているように、全ては私を抱いています。

質問さん
質問さん

他の人に対する劣等感はどのように解決したらいいでしょうか。

達人さん
達人さん

劣等感はどのように解決したらいいでしょうか、というマインドでは、劣等感に焦点が当たりっぱなしです。
従来のやり方、つまり、劣等感の原因を究明し、その心理を分析してそれから解放される、というのは、どうも違うようです。

まず、その劣等感を感じたとき、その瞬間、その感じを感じてみる。
これは、あなたが劣等感を克服するためにやるのではない。
おおー、これが劣等感という感じなのかー、と、興味を持って見てみる。

すると、瞬間、あなたは劣等感からの呪縛から離れることが出来る。

先ず、その感じを感じて、受容して、いらなければありがとう、と共に、それを捨てる。
モノを捨てるとき、まず手に掴むことが先決です。
手で掴まないと、捨てられません。
手で掴み、感じて、捨てる、この順序を覚えてください。

すると、その劣等感は、一種の観念で、最初から問題にすることでもなかったということが解る。
嫌だと感じるものが来たときは、一旦抱擁してください。
抱擁すればツンデレがデレになります。

質問さん
質問さん

「劣等感」が沸き上がるたびに、興味をもって接して、その後さよならしました。
そうしたら、今まで感じた事のない、雲が晴れたような解放感を味わう事ができました。
嫌な感情を拒絶するんじゃなくて、まずその存在を認める事が大事だったんですね。

達人さん
達人さん

今までとは違った心境が起こりましたよね。
何かにさよならするときは、キャッチ&リリースです。
一度キャッチすれば、後は自由です。

質問さん
質問さん

願いを簡単に叶えられる、簡単な方法があったら教えて欲しいです。

達人さん
達人さん

私が望んだものは、全て実現しています。
さらに、望んでいないものは、全て実現しておりません。

だから、目の前にあるもの、今の仕事、人脈、環境、その全ては、私が望んだものです。
たとえどんなに、自分が嫌だぁ、と思うものでさえ、私が望んだものです。
いま私にないものは、わたしが心底、望んでいないものです。
たとえどんなに、欲しいと思っているものでさえ、望んでいないものです。

こう言ってしまっては、身も蓋もないように聞こえると思いますが、ここが基本なんです。

まず、いまあるものは私が望んだものである、ないものは望んでいないものである、と、チューニングをします。

ようするに、いまある全ては私である、ということを見ます。
これで、今あるものを、自分にピッタリさせるのです。
今あるものを嫌っていたり、遠ざけたり、否定していると、なかなかうまく稼動しません。

バシャールがよく言っていますが、解らなくなったら、いまここで出来ることに集中してください、というのが、即ち、チューニングなのです。

自分を見失ったら、今、ここで出来ること、今、ここにしっぽりと身をおくことです。
これが急所であり、秘伝です。

私は、メソッドを意識的に使ったことはあまりありません。
私の場合はフォームを決めることです。
つまり、あり方を決めることです。
自分は、自分として、どんな自分であるか、とことん自分に正直になる。
すると、こうありたいというフォームが見えてくる。
それになるんです。

それになっても、自分が消えるわけじゃないです。
自分は自分として、そうなるのです。
すると、環境があとで整ってきます。
どうあっても結構です、それは、それぞれの創造なのです。

質問さん
質問さん

苦しいです、願いが叶わないので死にたいです。
やっぱり八方塞がりで、死ぬしか無いと思う淵まで、自分を追い詰めてしまう。

達人さん
達人さん

一言だけ、端的に言います。
苦しみを手放しちゃってください、苦しむ必要はありません。
これを頭で理解せず、ただ手放してください。
手放そう、と決めてください。

あなたはメソッドをやれば願いが叶う、と言うふうに、メソッドを条件として使っていました。
まずは苦しみを手放して、自分は心地よくあっていいんだ、と思ってください。そして、心地よくあってください。
もう一度繰り返しますが、我々には苦しみなど不要です、無価値です。

質問さん
質問さん

何もしなくていい、あるがままのあなたであればいい、ってことは、
願望が実現しようがしまいが、あなたは幸せなんです、ってことでしょうか?

達人さん
達人さん

その通りです。
願望の有無、実現の有無が、あなたの幸せを支えているのではなく、願望が実現しようがしまいが、あなたは幸せである、ということです。
幸せなあなたが、どんな願望をもってもいいのだ、と言うことです。

あなたは幸せに満たされていても、望みを持っていいのです。
逆に、幸せなあなたが意図する願望こそ、無条件で取引関係のない、そのままの願望なのです。

このロジックを理解してください。
あなたが願望の実現の有無で、幸せになったり不幸せになったりするということは、その願望の実現そのものが、あなたの幸せを支えることになります。

実現しなかったらあなたは不幸になってしまうなら、あなたの幸せの条件が、願望実現になってしまい、あなたは願望を手放せなくなります。
叶わなかったらどうしよう、と言う不安に、焦点を当ててしまい、とてもイライラしてしまうでしょう。

そんなことでは、願望の実現にウエイトが掛かってしまい、余計に叶いづらくなるわけです。
気楽な願望は叶うけど、本願は叶いづらいという理由は、そこにあります。
気楽な願望なら、あなたの幸せを左右しないが、本願は、あなたの幸せに直結していると、あなたが認定しているのです。

幸せは無条件であり、幸せな人も、何かを望んでいいんです。
寧ろ、それが願望なんです。
幸せな人の願望は、とても叶いやすいんです。
願望実現と幸せをとりひきしている人の願望は、叶わなければどうしよう、という不安に、焦点を当ててしまうので叶いづらいんです、そういうロジックです。

質問さん
質問さん

私が幸せなうえに、願望を持ってよいなんて、人生素晴らしすぎです

達人さん
達人さん

あなたは何を望んでもいいし、その望みは、あなたをより輝かせてくれるものです。

あなたは何かが欠けているから、何かを望むのではありません。
そんな望みは叶いません。
何故ならば、あなたはどこも欠けてないからです。

あなたは無条件で幸せであり、尚且つ、何を望んでもいいのです。
これが望みです。

あなたは何も矯正することはないですよ。
そのままのあなたでいてください。
出来れば、あなたに気づいてください。
いつでも、どこでも、誰とでも、そこにいるのは、あなたなんです。

質問さん
質問さん

私の一番の願望は結婚ですが、結婚しなくてもハッピーな自分を見つけたら、結婚は必要ないんでしょうか

達人さん
達人さん

そのままでハッピーな人は、よりハッピーな現実を見てはいけないのでしょうか。
幸せな人であっても、何かを望んでいてもいいのではないでしょうか。
その望みこそ、影に支えられていない、純粋な望みです。

結婚を幸せの条件だとすると、結婚しないと幸せになれないということになります。
そうではなく、結婚していなくてもハッピーだから、結婚したらもっとハッピーなんです。
これは、影が支えていない、純粋なハッピーです。
今、ハッピーであればハッピーな結婚ができる。
今、ハッピーでないと認定すると、ハッピーでない結婚ができる。
このくらい単純な話です。

あなたは、結婚を達成しなければ幸せになってはいけない、
こんなふうに思っていませんか?
散々語られていることですが、これは逆です。
幸せであることが、達成をもたらします。
何かがあるから幸せだ、というのは嘘です。
確かに現実は、そんなふうに営まれていますよね。
志望校に合格したから、幸せだ、憧れの彼と結婚できたから、幸せだ、って具合にね。

勿論いいんです、それが幸せであってもね。
しかしそれらが、幸せの条件になると、それらが具現化、現実化していないあなたは不幸せである、と定義されてしまいます。
そして、まだ達成していない、わたしはダメだ、となってしまう。

このわたしだめという気持ちが、具現化に抵抗する勢力になっています。
だからといってこの、わたしだめという気持ちを絞め殺せ、というわけではありません。
ダメな思いがあるなら、あってもいい、何があってもOKで、そのまま無条件に幸せであることを選択するんです。

私は何もなくても幸せであってもいいんだ、と、そんなふうに考えてみてください。
そう、条件なしで幸せであってもいいんです。
幸せの主導権を、あなたに取り戻してください。
現実があなたを支配して、願望の達成が、幸せの認定証をくれるのではありません。
あなたがそれを選択するとき、それらは来ます。
その選択とは、幸せのために渇望することではなく、今、幸せであることです。

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