【方法論】「感情に対して不戦宣言する」嫌な感情が「ずーん」と来たら、それはラッキーチャンスです。それを変化させるまたとない機会なのです。感情に対して抵抗しない、反撃しない、不戦宣言をすることです。

体感・気づき・方法論
質問さん
質問さん

この状況は完璧だ、とか、すべて上手くいった、とか、心の中で唱えても、胸につっかえるものがあって苦しいです。
今今メソッドもずっとやってるのに、何も気付きません。
感情に浸っても、心のつっかえは残ったままで、苦しいんです。
自分に問いかけても、答えが出ないし、どうしたら良いかわかりません。

達人さん
達人さん

嫌な感情が来たとき、それを感じるように、とよく言いますよね。
実際、我々は無意識に、嫌な感情に対して戦いを仕掛けてきました。
嫌な感情がずーんときたら、そんなことはない、と嫌な感情を否定できる何かを探しに行きます。
抑え込めるものが見つかったら、それで抑え込む、ということで対処しています。
自分の思考がどういう動きをしているのかを見ると、よく解ります。
必死になって、嫌な感情に応戦できるネタを探しています。
この方法のロジックを見ていくと、嫌な感情が発生したら、抑え込む、そして、優勢に立ったので、これで対処とする、という流れです。

この抑え込み、あるいは、優勢に立って対処する、というのは、
嫌な感情の存在証明を、かえって補強している、支えている、と言うことになります。
嫌な感情が無ければ、そもそも抑え込むこともないのですから。
これが感情に対する戦いです。
嫌な感情を押す潰そうとするわけです。
例えば、おまえは無価値だと言われて、嫌な感情が来たとしたら、自分のこころのどこかで、多少なりとも私は無価値かもしれないと思っているわけです。
無価値という観念に呼応して、感情が湧いているわけです。

その感情に対して、
いや、そんなことはない、私には○○ができる、
私には○○がある、
私には○○という実績がある、などと、その感情を抑え込むために、延々と、感情に対して自分の価値を使って反撃をするわけです。
これは非常に疲れます。

また他の楽しいことを考えてやり過ごそう、と思っても、それさえも反撃になってしまい、しかも、嫌な感情が居座っているので、なかなか楽しい空想が湧いてこない場合がある。
はぁー、やっぱりダメだあ、みたいな感じになる。

嫌な感情に対して、○○という攻撃、或いは防御は、私は無価値かもしれないという感情がないと必要なかったものです。
つまり、○○を使って攻撃する、攻撃せざるを得ない、ということは、私は無価値かもしれないという感情を、いつまでも支えてしまうかもしれないわけです。
このロジックを破る方向が感情を感じるということです。
嫌な感情を、その感情自身で消滅させること、他の方法を用いないことです。

実は、何かのきっかけで、嫌な感情がずーんと来たら、それはラッキーチャンスです。
それを変化させるまたとない機会なのです、大喜びなのです。

感情を感じるコツは、
感情に対して抵抗しない、反撃しない、不戦宣言をすることです。
目を閉じて、普通の呼吸で、その感情を感じます。
何を感じても結構です、全て許します。

すると、胸の辺りとか(みずおち)のあたりとか、或いは背中や首などに、とにかく身体反応が来ます。
重くなったり、熱くなったり、ぞわぞわしたり、強張ったりします。
そしたら、それをじーっと感じておきます。

それが動き始めますので、その動きをじーっと感じます。
動きが止まったら、手のひらや指先で、その箇所をトントン、と数回軽く叩きます。
ナデナデ、スリスリしてもOKです。
そして、また感情を感じます。

するとどうでしょう、
暫くすると、戦いを挑まないのに、やっつけていないのに、嫌な感情が勝手に薄らいで行きます。
その感情に捕らわれていたときには、考えもつかなかった楽しい思考が、ポッと浮かんできます。

そのことを理解すれば、今後はどんな嫌な感情が来ても、全てラッキーチャンスにならざるを得ないのです。
嫌な感情、いつでもいらっしゃーい、みたいな気分で居られます。

なかなか嫌な感情がなくならないな、と感じた場合、感情を感じるという方法を、覚えておくといいと思います。
まあ、一種の気分転換くらいのノリでやればいいと思います。

質問さん
質問さん

嫌な感情を素直に認めて感じきったら、あとは自分がどう在りたいかを望めば良いだけですもんね、恐れることは何もないですね

達人さん
達人さん

そうですね。
感情を感じて体に流してやると、エネルギーシステムというか、エネルギーの経路がキレイになるような感覚があります。
感情というのは、身体的な現象であることが解ります。

抵抗している感情を感じて、流してやると、フラットになりますので、あとは好きな感情を自由に呼び出せるわけです。
感情は、観念の消息を教えてくれます。
十分に感じてあげた後、この観念を採用するか、捨てるかを選べばいいんです。

実は私は、感情を感じるというのは、単に嫌な感情の対応策ではない、と思っています。
全ての感情を感じるということを、暫く体験すると、豊かさに驚くはずです。
嫌な感情、良い感情とは差別なく、全てを感じると、何が起きるか。
人間が持っている感情システムが、全面的に開始します。

どんな些細な事も感じることが出来るようになり、不感症からの脱却になります。
この現実は斯くも豊かな世界だったのか、と再認識できます。
自分が嫌だー、と毛嫌いしていたものを受け入れることが、実は一番欲しかった豊かさを抱くことになります。
感情を感じることに目的はありません。
生を慈しみ、全てと共にある喜びを感じること、そのものなのです。

タイトルとURLをコピーしました