不安がわいてきました、この先どうしたらいいですか?
君は無条件で、自分を愛しているか?
○○だから可愛いとか、○○だから好きじゃなくてね。
本当の願望は自分を今よりも好きでいる事だろ。
君の場合は条件付きで自分を愛しているんだ、その条件を今すぐ手放せ!
自分を無条件で好きになるにはどうしたらいいの?
愛していると認めたらいい、認められなかったら許せばいい。
金も、名誉も、恋愛も、物も、それら全てを保持している自分になりたいのだろ?、
そんな自分を今よりも好きになれそうだから、自分を好きになる手段として得たいのだろ。
だからそういった類いの願望は全て今よりも自分を好きになりたいが本当の願望だろ。
得ても好きになれなかったら、また別を探したり捨てたり失ったりするんだろ。
とにかく自分を今以上に好きになってみればいい。
四六時中自分に向かって好きだと言い続けたり、パーツを褒めたりしてみてもいい。
相手のことを思うとまだ苦しいです
相手を思うとなぜ苦しい?
きみが傷つけられたと思うからだろ。
きみを傷つけたのは君だよ、自分で自分を傷つけてんの。
目を開いてみてみろ、きみ以外にきみを傷つける事のできるヤツはいない。
逆にだ、きみ以外にきみをしあわせにできるヤツはいないんだよ。
自愛って自分に言い聞かせているだけで、あまり実感がない感じです。
しっくりくる言葉や方法を探して、自分にしっかり向かい合ってみるんだ。
自分にありがとうと言うのはどうかな。
第三者から言ってもらう感覚ではだめですか?
最初はそれでも構わないよ、自分が出来る、自分が喜ぶ事をすればいい。
きみには幸せになっていい価値がある、当たり前だろ。
願望だって叶って当たり前の価値があるだろ。
取り合えず自分の為に自愛をしてみたらいいよ。
叶える為、叶える為って、なんの為に叶えたかったんだ、結局自分の為だろ。
そこにかえるんだよ、自分の為だ、自分の為に自分を大切に自愛してみるんだ。
よくここでも先に幸せになってくださいって言われてるけど、私にはどうしても無理だった。
もっと自分を好きになってから手に入れてもいいだろ、その方が楽しいよ、それだけの話だ。
好きになる事と、手に入れる事は完全に別だ。
好きになるために手に入れるのでも、手に入れるために好きになるのでもない、全く別だ。
今までは一緒だったから苦しかったんだよ。
取り合えず、凄く愛してみろ、何が欲しいかは改めて考えろ。
みんなの本当の願望は今よりもっと自分を好きになることで、欲しい彼も、彼女も、お金も、仕事も、全部そのための手段。
それは今ここで叶えることができるから、大元の願望を叶えちゃえよって言うことかな。
その通りだ、本当の願望を叶えたら、その為の唯一の手段だと考えていた、きみらが願望だと思っていたものは、ただの純粋な選択肢になり、選べるようになる。
更にいうと、無償の愛を送る事で、条件がなく、きみがどうであろうが、望んだ物、望まなかった物、全てを受け取っていい私になるんだよ。
実践あるのみだ。
チケット7章の理解は、とりあえず放っておいて、ひたすら自愛したら、内面で起こっていることこそが真実だという認識になりつつあるよ
良かったな、
愛を送るメソッドは、最終的に対象をはずし、愛に浸るだろ。
人生を愛している、世界中の人を愛している、と思った瞬間が今まであったかどうかわからんが、間違いなく、
気持ちが良くて幸せな瞬間だというのは想像できるだろ?
世界がきみの内面の投影なら、人生そのものも、世界もきみだろ。
きみの人生や世界を愛してみろ、人生にも世界にも、愛を送って浸ってみろ、それが自愛なんだよ
肉体的な痛みの場合は、どう対処すればいんでしょうか。
痛みもきみだろ、痛いと思っている、傷みを感じているきみだ。
きみは傷みを欠点だと感じて排除しようとしているだろ。
きみに欠点なんかない、そういう部分もひっくるめて受け入れて、認めて愛を送るんだよ。
例えば自分に火傷の跡があるとする。
その火傷の跡をないものとして自分を愛する事と、火傷の跡は気になるけれど欠点ではない、それを含めて愛する、火傷の跡そのものも、気にしている自分も全て丸ごとありのまま愛すること、両者は違うだろ。
世界を愛せと言ったが、その前に自分を存分に愛せ。
愛が溢れてきたら世界を愛したらいい。
世界を愛する事も自愛も同じ事なんだ。
だから愛に浸るメソッドは最終的に対象をはずし愛そのものに浸るだろ。
誰か言っていたな、入り口は対象かもしれないが、対象を外して愛に浸る行為は自愛だ。
現実は内面の投影だろ?
丸ごと自分を愛している=丸ごと世界を愛しているだ。
きみがきみの世界を丸ごと愛せないなら、きみは自分を丸ごと愛していないわけだ。
それは、オポノポノにもつながるだろ?
だから余計な事を考えずに自愛してみろと勧めているんだよ
そこはかとなく憂鬱というか、何となく気分が暗い日ってあると思うんですが、そんな時は何が原因なんでしょうか
気分が暗いのは別に悪い事じゃない、常に明るくないといけないと思っていないか?
ネガティブな気分になっても、自分に甘く、まあいっかで終わればいい。
ネガティブから逃れようとするより、認めて流した方が遥かに楽で快な気がしないか?
まだ自愛がよくわからないです
自愛がうまくできても、うまく出来なくても構わないんだ。
うまく出来なくて苦しんでも良いし、叶える事に執着しても、叶わないと嘆いて苦しんでもいい、
そんな完璧じゃないと自分を許せないきみを、丸ごと愛せ・ということだよ。
叶っても叶ってなくても幸せになって下さい、という108さんの言葉に、いやいや叶わないと幸せじゃないよと抵抗するだろ?
叶わないなんて幸せじゃないし、叶っていない今は幸せじゃないよ、と抵抗するだろ
自愛の方面からアプローチすると、叶っているきみも叶っていないきみも、どちらも丸ごと愛してやれ、ということだよ。
叶っていようが叶っていまいが愛してやれ、自愛できようができまいが愛してやれ、快であろうが不快であろうが愛してやれ。
あれはダメこれはダメと知識が増えて、そのダメな事をするたびにきみはきみを叱責する。
車を気持ち良く運転するのに隣りでなんやかんや否定されたら嫌な気分だろ。
言われ続けると萎縮するし、いつもしないミスまでやらかしてさらに怒られる。
分離は勘違いだ、愛、完璧、一体以外は勘違いだ。
抵抗や不快感、恐怖がでてきたら、きみが感じる事を許せ、感じてもいいんだ、それが自愛だろ。
きみが世界や人生、願望の対象物に言いたい事、文句があるとすれば、それはきみがきみにいいたい事だ、きみからきみへの不満だ。
自分がこのしつこいまでに自分を許せないのは、本当に何なんだろう
つまり、自分を許せない、許せなくてもまあいいや、まあいいやと思えない自分にイラつく、いらついても構わない、いいわけないじゃん、別にOKだよ、という流れだ。
それは、分離→愛→分離→愛っていう感じだ。
最後に分離が根負けするまでやってみろ、結局分離は錯覚、幻想なんだよ。
クレさんも言っていたろ、自分を裁くな、まあいっかだ。
つまりこれは、丸ごと自分を許してるし愛しているし、自分が完璧であると認めているだろ、言葉は違えど同じことだよ。
良いも悪いも、感じたことも思っていることも、全部自分だし、感じた対象も自分だし、全部自分なのに禁止する方が不快な感じがします。
ダメなことなんか一つも無いですね。
それが丸ごと愛しているという事だろ?
きみが世界に少しでも不満があるなら、きみがきみにもっと愛してほしいサインだ。
世界はきみだろ、きみがきみを愛するという事は、世界がきみをあいしきみが世界を愛する事だ。
不足や不安や恐怖を感じたっていい、そんな自分も愛してやれ。
愛せなかったとしても、そんな自分を愛してやれ。
自愛をすれば世界が微笑んでくれる、だから自愛する、みたいに思ってやってもいいのかな
私が言いたいのは、世界が微笑んでくれるために自愛する自分も許す、愛するだ。
願望を叶える為に何かをする事がいけないのではなく、既にあるから、願望を叶える為に何かをする必要がないんだよ。
叶っていない(と思っている)自分も愛せ。
だが叶える為に執着してしまう自分も許して愛せ、まるっと愛せ、どんな自分でも愛せだ。
さらに世界が微笑んでくれる=自分が微笑んでくれるだ。
だから世界が微笑んでくれるために自愛する事と、自分が微笑むために自愛する事は同じだ。
私はなかなか許せないでいるんだ。
許せなくてもいいんだ、それで構わない。
自愛が上手く行かない自分を許すと言ってみろ。
全部許してやれ、全部だ。
全部許すというのは、反論する気はないが、私には神業だ
全部許せない自分をまず許す、と断言しろ。
それからな、許されてない、できていないも錯覚だ、実はとっくに許されてるんだよ。
私は、完璧と、全=個がわかるまで叶えられないって思ってるみたい。
それでも良い、そんなふうに考えたっていいと許してやれ。
そんな自分がありのままの自分だろ、愛してやれ。
思考の自由を認めるのって勇気がいる
きみの全てを許すんだよ、大抵が、否定するきみを許す・という形になると思うよ。
マイナスな事を考えろという訳じゃない、考えてしまっても良い。
108さんの自分を否定しない1日メソッドと同じなんだよ。
裁かない、愛する、否定しない、許す、認める、許可する……、言葉は違えどすべて同じだ。
不完全な自分を認めてはいけないの?
それは全く逆の意味になり、自分は不完全だと認定する事だ。
そうではなく、不完全だと認定してしまう自分を許す、という感じだ。
取り合えず許すのは自分だけだ、
現象に対して許すんじゃない。
現象というのは、例えば犯罪を許せとか他人を許せなどとは言っていない。
犯罪を許せないきみ、他人や現象を許せないきみ、きみを丸ごと許せ、それでオッケーだと言ってやれ、愛せ、そんな自分を裁くなという意味だ。
それが自分を丸ごと愛する、ということだ。
自愛っていうのは、どんな自分でも許すに近い。
自分を愛せない自分、そんな自分でも、ま・いっかだ。
ま・いっかと思えない自分も許してやれ。
そんなふうに考えてしまう自分も許す、それもできない自分も許す、動揺している自分も許す、許せない自分も許すんだよ。
きみの外側に対する不満や悲しみ恐怖は、きみに対するきみからの訴えなんだよ。
きみが世界に不満を持っている数だけ自分に対して不満を持っている、それも許してやれ。
自分=世界と、現実は内面の投影というのは、同じ事を言っている。
世界や現実、他人に対する不満は、自分から自分への不満だ。
他人や現象に対して無償の愛を送るのはなかなか難しいだろ。
あるがままの自分を愛するイコール別の領域だ、つまり完璧を採用するという事だ。
あるがままの自分を愛するという事は、自分のなす事、考えたことを責めるな、
裁くな、ま・いっかと許す、愛す、そんな自分も認める、それも出来ない自分も許すだ。
恋愛スレ【その2】
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1277544375/
691: もぎりの名無しさん :2010/09/26(日) 17:45:13 ID:5GuLP5bI0