【方法論】「感覚を100%開いて感じる」感覚を閉じると喜びも感じられなくなるから、いつでもどこでも自分の感覚に気づいて、めいっぱい全開にしておこう。【画家さん】

達人part
【方法論】「感覚を100%開いて感じる」感覚を閉じると喜びも感じられなくなるから、いつでもどこでも自分の感覚に気づいて、めいっぱい全開にしておこう。【画家さん】
質問さん
質問さん

幸せになりたくない人間がいるのだろうか、いや、居るわけがない。
それなのにエゴは簡単になくならないし、エゴのゲームから抜け出せない。
このゲームは難しすぎる、もう二度と、参加なんてしたくない

達人さん
達人さん

無理ゲーというより糞ゲーだよね
もしこの糞ゲーをやめるつもりなら、徹底的に、分離感を手放してゆくことだよ。
分離感の中で何をやってもダメだとわかれば、手放せる。

分離感とは、あなたが不快に感じる一切の感覚だ。
心配も、危機感も、全て手放すことを意味する。
そうすると、やっている最中に、ホントに手放してもいいのか問題に対処できなくなるぞと、こんなささやきが来る。
これは、問題に対処できなくなるという分離感だ。
これに唆されて、やっぱり恐いから、何々をやる、そしてまた、無理ゲーをやるハメになる。

あなたは一切の分離感を手放せるだろうか?
手放している途中でやって来る分離感も、手放せるだろうか?

一度手放すと決めたら、もう四六時中やるつもりでかかった方がいい、徹底的にやるんだ。
手放しかたは何でもいい、セドナでも、感情を感じるでも、とにかくその不快感が少しでもなくなっているのなら成功している。
自分なりの方法を編み出してもいい。
日常で、誰かの言葉に気分を害した瞬間、それに気づいて手放す。
何かを見た瞬間、反応が来たらそれを感じて、即座に手放す。
四の五の言わずに、ただ手放す。
私はいままで、この分離感を手放すことだけを言ってきた。
これ以外、言うべきことは何もないからだ。

答えを言っちまえば、いまここで楽になれば、無理ゲーは終わる。
終わるというより消える。
消えるというより、無理ゲーそのものは架空に過ぎない。

現実に何が起こっていようがいまいが、いま、ここで楽になっちまえば、現実は変わらざるを得なくなる。
しかし私たちは騙されている、自分で自分を騙している。
現実が変わらないと、私はそれを感じてはいけない、と騙している。

現実が変わったら、そこで初めて楽になろう、とするところに無理ゲーの基本設定がある。
それ故に現実を変えようとして、更なる分離感を感じるハメになる。
これを逆転させない限り、無理ゲーは続くよ。
このあべこべを解消したいのなら、先ず正直に、今自分が何を感じているかに耳を澄まして、
如何なる些細な分離感さえも見逃さずに、それをリリースすることだ。
いまここで、即座に楽になれないのなら、それは分離感がその感覚を阻んでいるに過ぎない。
一番確実な方法は分離感の統合だよ。

質問さん
質問さん

死ぬことでしか、解脱の道はないのかなって思う、生きてるうちに完璧な充足は味わえないのかな

達人さん
達人さん

そのくらい絶望しちまったほうが話は早いんだよ、別に絶望が条件でもないんだけどね。

絶望というのは、外には自分を贖う物は何もなく、方法すらない、と認識する状態だ。
ここに来てやっと、自分そのものに100%意識が向く。
試しに、簡単なことをやって欲しい。

感覚を100%開いて自分自身の身体、精神、感情、その他一切合財を感じてくれ。
何もしないんだ、ただ感じるだけだ。時間は10分程度でいい。
このときに、殊更に心地よくなろうとか、分離感を手放そうとか思わないこと。
とにかく、一切合財100%感じるんだ。
面白いから、興味が湧いたら続けてくれ。

私の体験ですが、ただ感じるだけで統合されます。
感じるだけで、心身に活力が与えられます。
感覚を100%開くこと、めいっぱい開くことは、幸せを感じるお稽古だと思ってもいい。
幸福感や充実感も感覚なのです。

この感覚を狭めていると退屈という感覚が来る。
何故狭めたのかと言うと、感じたくない感覚があるからです、そこだけドアを閉じている状態です。
閉じっぱなしだからエネルギーが入ってこない、エネルギーが湧かない。

感覚を閉じると喜びも感じられなくなるから、いつでもどこでも自分の感覚に気づいて、めいっぱい全開にしておこう。
嫌な感じはそれを感じさえすれば消えます。
消えないのは感じたくないという抵抗によるものです。
腰を据えて、感じれば大丈夫です。

質問さん
質問さん

最近、死にたい気分がやってきて、これで全てを手放せるだろうと思っていたのに、できないんですよね

達人さん
達人さん

その死にたい気分と、ただ一緒に居られるでしょうか?
一緒に居れば、即座に消えます。
人はこの気分は私自身だと勘違いしてしまい、自ら死にます。
それと一緒に居ることにより、それは単なる気分であることが解る。

単なる気分、と書きましたが、気分こそ、存在の在り方を示す周波数なのです。
よく感情感情と言われるけど、怒りや恐れは感じやすいのでそれを相手にするのですが、重要なのは、日常を過ごしているときにその根底に流れている気分です。
たかが気分、されど気分なのです。
みんな、良い気分が欲しいのです。
それゆえに、それを確約してくれるような現実を求めるわけです。
しかし、もし、現実とは無関係に、あなたが自分の気分を変えられるとしたら、最早無敵です。

質問さん
質問さん

退屈というのも、分離の感情なんですか

達人さん
達人さん

退屈は、明らかに分離感です。
心地よくない、と感じるものは、100%全て分離感です。
ちょっと抵抗があるかもしれませんが、多くの人は退屈から逃れるために何かやります。
それを逃避と言います。
それが普通なんですよ。

そして、退屈から逃れて、何かイベントや祭りごとを体験してそれを幸福だと思っているのですが、それも過ぎ去れば、祭りの後の寂しさみたいな気分が付きまとう。
でもその退屈感も分離感で、あなた本来の感覚ではなく単に付け加えただけの感覚で、それとて手放せるのだ、と知ると、このスタンスが変わる。

退屈しのぎが悪いのではないのです。
しかし退屈しのぎは一時的な幸福感で終わりますので、もっと欲張って、ずっと続く幸福感を望んでもいいのです。
退屈を感じたらチャンスだと思い、それを感じて、手放してみてください。

ああ、なんだか退屈だなぁ、退屈があるぞ、
よし、どんなふうなのか、ちゃんと感じてみよう、
なるほど、こんな感じなのか、じゃあリリースしよう、という感じです。

何度もやってると感覚が広がってきます。
もう退屈から逃げる必要がなくなります。
すると今まで気づかなかった幸福感が湧いてくる。
それは最初からあったんです、ただ気づかなかっただけです。

質問さん
質問さん

退屈は、あまりにも身近で、あまりにも普通な感情だったので、かなり一体化してました。

達人さん
達人さん

退屈という分離感をリリースすると、イベントとか、友人とのおしゃべりとか、お出かけとかがもっと楽しくなります。
逃避に使っていないから、それを100%楽しめるのです。
そして、イベントが終わってもがっかりなんか来ません。

退屈をリリースして、その後、好きな音楽を聴いてみてください。
今までとは違った新鮮な感動があるはずです。

質問さん
質問さん

感じきれば分離感は消えるとのことですが、どうやれば感じきれるのかわかりません

達人さん
達人さん

感じ切るのは、ただ感じ切るのです。
ただ感じて、それをそのままにしておくと、分離感が終わった感じになってくる。
あなたは何もしないんです、
ただそれを感じている。

このとき思考で、あれやこれや考えていると感じ切れません。
思考と知覚は同時に存在できないと私は体験しています。
だから、ただ感じることに集中してみてください。
やっていると感覚がつかめてきますよ。

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