私達は普段、自分の意志で物事を考え、自分の意志で行動をしていると感じています。
確固たる自分というものが存在していて、その自分が思考して、思考したことに基づいて、自分の意思で行動していると感じていますよね。
ところで、今日あなたは、何を食べましたか?
そう言われると、あなたは今日食べた食べ物を思い浮かべるでしょう。
ですが、今あなたは」、あなたの意思で考えましたか?
私が、あなたが今日食べたものを訪ねたからこそ、あなたは自動的に、今日食べたものを考えたはずです。
ということは、あなたは、私の質問によって動かされているようなものですよね。
私の質問をきっかけにして、あなたは思考をし始めました。
私が「りんご」を思い浮かべてください、と言ったら、「ばなな」が思い浮かぶひとは少ないと思います。
無限の選択肢の中から、あなたは自由に物事を考えているといえるでしょうか。
あなたは自由に「ばなな」を考えることができないのです。
あなたは考えているのではなく、考えさせられているのではないでしょうか。
私達は、外部の刺激によって、自動的に反応している「自動反応装置」であり、ロボットと同じようなものです。
こういう刺激が起きたら、こういうふうに動く、というように、プログラムされているわけです。
そう考えると、あなたという存在は、自由意志があると言えるでしょうか。
自由意志というのは「錯覚」で、プログラム通りに動いているロボットと、大して変わらないのではないでしょうか。
もちろん、この考え方は、一つの考え方です。
自分には自由意思があり、「自分の意思で行動してきた」と感じている人にとっては、この考え方はとても受け入れられないでしょう。
自由意志がないなんてつまらない、そんなの、生まれてきた意味がないじゃないか、と思う人のほうが多いでしょう。
大抵の人は、自分の意思で物事を考えていると感じていますから、自分が、反応することしかできないただのロボットだったなんて、到底受け入れられないでしょうから、無理に受け入れる必要はありません。
ですが、もし、あなたが何かに悩み、なにかに苦しんでいるのなら、「自分には自由意志がない」という考えは、あなたの助けになると思います。
あなたに自由意志がないのであれば、あなたが苦しんでいるのは、刺激によって、苦しみという反応が自動的に発生しているわけで、あなたに責任はない、ということです。
すべてが自動で起きているということに気づけば、あなたは自分を責められなくなります。
もし自分を責めてしまったとしても、それすらも自動反応であり、あなたのせいではないのです。
そう考えると、ちょっと気持ちが楽になりませんか。
自由意志がないのであれば、いっそのこと開き直って、今よりも自由に生きてみようかな、と思うかもしれませんね。
自由意志がないのであれば、私の話を聞いたあなたが、「自由に生きてみようかな」と思ったことも自動反応にすぎないということになりますが、それでも、生きていくことが今までよりも楽になるかもしれません。
あなたがなにかに悩んだときは、「私の悩みは自動反応であり、私に自由意志はない」ということを思い出してみてください。