私は毎日自己観察していて、思考や感情には気づいているし、「これは自分ではない」っていうようにやり続けているんですけど、いつも思考や感情に巻き込まれてしまいます。
どうしたら思考や感情に巻き込まれずに自己観察することが出来るのでしょうか。
ちょっと不思議な話をすると、思考に巻き込まれていたあなたは「幻想であり思考」です。
「思考や感情に巻き込まれたよ」という記憶自体が思考ではありませんか?
その後悔すべき過去そのものが、実在しなかったのです。
幻想であったと気づいたならば、その記憶は流してしまいましょう。
もうそれ以上することはありません。
そんな苦しかった現実など存在せず、今思考に気づいているあなたがリアルです。
あとは常に記憶が瞬間瞬間に起こると思いますが、それを観るだけです。
そうすると常に今しかなく、瞬間瞬間に生まれ変わっている感じがします。
ちょっと話がそれますが、これって「自愛」や「完璧認定」にもありますよね。
忘れていた自分を愛する。
忘れていた自分も完璧である。
それぞれ、共通してるところがあるんですよね。
過去や、エゴに関係なく、過去に囚われず、今に戻り、今のこの瞬間の自分を肯定するんです。
そんなふうに、思考を観てみるのはどうでしょうか。
もう少し具体的に説明してみます。
あなたの意識をよく観察してみて下さい。
意識は一瞬一瞬、せわしなく場面が切り替わっているはずです。
「意識を当てている」と言った方がわかりやすいでしょうか。
視覚や音に意識を当てていたり、感触に意識を当てていたり、思考や感情に意識を当てていたりして、ひとつのスクリーンの中で場面がひとつひとつ常に忙しく切り替わっています。
どんどん切り替わっていきますが、ひとつ前の場面は存在していたのかはもう既に証明できません。
「絶対存在していたよ」という記憶さえも今さっき創られたものです。
たとえ存在していたとしてもどんどん破壊され、どんどん新しい場面が創造されています。
場面と場面には繋がりはないのです。
「繋がっていたよ」というのも、しつこいようですが思考であり、記憶であり、今創られたものです。
もう本当にその場面があったかどうかも今は不明です。
そのように現実は常に刷新されていて、実は自己というのは「瞬間瞬間の場面」だったのです。
この自己を観察するのです。
刷新されていることがわかったら、もう過去なんかに囚われず、「過去とは断絶された常に新たな自分のつもりでいればいい」ということです。
願望に対して、あれこれと条件を付けてしまいますが、その条件、過去というのはもうここにはないのです。
ここにはないというか、元々あったかどうかもわからないんです。
それなのに、なぜかその条件や過去を真実として採用してしまっているんです。
そんな自分のひとつひとつの場面をよく観察するのです。
過去は過去という「今起きた幻想」としてただ観るだけで、それを採用せずに、今純粋に起こったやりたいことやなりたいものに向かって進めばいいと思います。
頭では分かっていて、思考を捉えられた気にはなっていたのですが、結局エゴと同化してしまって苦しくなってしまっていました。
そこで、音や見える物を意識するなど、五感を優先しながら、思考や感情を観察したら苦しくならずに観察する事が出来るようになりました。
概念を理解するだけでなく、実際に集中して実践してみることが大事かもしれませんね。
私もそうですが、エゴに飲まれてしまった最中に気づいて、深い観察に入ろうとすることはけっこう労力がいります。
思考の雑木林を綺麗にして、やっと立ち位置に戻れるという感じです。
これはリラックスした集中力と慣れが必要なんですよね。
自己観察は「動きながらの瞑想」とはよく言ったものですね。
自己観察スレ3
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356 : 幸せな名無しさん :2017/05/01(月) 00:26:39 GVxPuxGQ0