【方法論】「プレッシャーから解放する」自愛は、プレッシャーを増やすのではなく、力を抜く方向である。それが自分を大事にするという事である。無意識にプレッシャーをかけているのだから、意識して力を抜く事だ。

体感・気づき・方法論
達人さん
達人さん

「自愛」の「自分を責めない」ということが、上手くできない人に向けて、説明します。

多くの人は、一日のほとんどの時間を、プレッシャーにさらされている。

「あなたはこのように振る舞うべきだ」とか、「あなたはこのような人物であるべきだ」とか、「あなたはこのような性格であるべきだ」とか、「あなたはこのような容姿であるべきだ」とか、「あなたはこれに貢献すべきだ」などのプレッシャーだ。
あなたはそのように求められているように感じる。
それは他人からだろうか、あるいは社会からだろうか。

しかし実際は、誰もあなたに何も求めてはいない。
あなたがどう振る舞うべきかも、どういう性格であるべきかも、どんな容姿であるべきかも、あなたは求められてはいないのだ。
求められていると思っているのは、ただの思い込みである。

「でも実際に求められたことがある」という経験を、あなたは持っているかもしれない。
しかし、それはその思い込みの為せるわざであり、あなたがそう思い込まない限りは、それを要求される事はないのである。

あなたは無意識にプレッシャーを自分にかけている。
なぜなら、あなたにプレッシャーをかけられるのは、あなただけだからだ。

これでは気が休まる時間がない。一日中プレッシャーにさらされ、かろうじて気が休まるのは「アルコールが入ったほんのひと時だけ」というわけだ。

あなたは他人といる時ばかりでなく、一人でいる時にまで、自分にプレッシャーをかけ続ける。
もちろん、他人といる時よりはプレッシャーが減るだろうが、「自分はもっと別の人物にならないといけない」とか、「自分はもっと改善しないといけない」とか、「なぜあの時あんな態度をとったんだ」などと、今の自分とは別の人物になるように、絶えず自分に圧力をかけ続けている。

プレッシャーを受け続けているあなたは、当然他人にもプレッシャーをかけようとする。

つまり、他人を責めてしまう。
自分ばかりが、このプレッシャーを受けるのは不当だからだ。
そうやって他人にプレッシャーをかけながら、プレッシャーをかけてしまった自分を振り返って、また自分にプレッシャーをかける。
「あんなことをすべきじゃなかったのではないか」と、自分を攻めてしまう。

だからまずは、あなたをプレッシャーから解放してあげよう。
これまで散々プレッシャーをかけ続けてきたのだから、もうそろそろいいだろう。
他人といる時はそうするのが難しいのなら、まずは一人でいる時ぐらいは、自分を解放してやろう。

あなたは何も求められていないし、どんな人物にもなる必要はないし、どんな振る舞いをも要求されていない。

体の力を抜いて、心の力を抜けばいい。
愛を意識的に送ろうとせずとも、それだけで事足りる。

自愛をやろうとして、無理に「愛を送らなければならない」とか、「責めちゃだめだ」などと、自分にプレッシャーをかけていたのでは意味がない。
自愛で目指すのは、あくまで力を抜く方向性である。
自愛が上手くいかないとすれば、この部分だけだろう。
よって、自愛が合わないなんていうことは本当はないはずだ。

そのプレッシャーから解放されれば、「今」にくつろごうかな」という気にもなれる。
「今」にいなければならない」というのでは、プレッシャーは増すばかりだ。
自愛をして、何か不快感を覚えるとしたら、その部分が間違っている。
自愛をして、新たな義務など、何か追加されたように思うのであれば、あなたの自由が、ますます侵害されたように感じるはずだ。

自愛は、そうやってプレッシャーを増やすのではなく、力を抜く方向である。
それが自分を大事にするという事である。
無意識にプレッシャーをかけているのだから、意識して力を抜く事だ。

108以外質疑応答【5】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1311180098/
988 名前:81 投稿日:2011/10/15(土) 00:48:29 ID:c/U4/Npg0

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