【方法論】「諦めのスカイダイビング」諦めた後に着地するときに、自分の望み以上の、最高の完璧な自分を宣言します。諦めた後に、妥協しながら、最高の自分を選ぶというのがコツですね。

体感・気づき・方法論
達人さん
達人さん

「諦めてなる」をしてから、半日足らずで、顔に変化がありました。
このやり方は荒療治だから、辛いと感じる人は、無理をしないほうがいいです。

「ああ、何やっても結局若くなることなんか出来なかったな、潜在意識で色々やったけど、結局効果なんか無かった、全部失敗だ、結局叶わなかった」、「仕方ない、もう若くなるのは諦めよう」、「諦めて、19歳くらいの顔になろう」、これで終わりです。
諦めた後に着地するときの言葉は、なりたい顔や、望んだスタイルなど、それぞれで好きに宣言すればいいと思います。

この諦めたときに感じる、「絶望感」や、「開放感」、「ぽっかりと心に穴があく感覚を得ること」を、俺は「諦めのスカイダイビング」と呼んでいます。

そう、ただのスカイダイビングです。
着地をするときに、自分の望み以上の、最高の「完璧な自分を宣言します。
諦めた後に、妥協しながら、最高の自分を選ぶというのが、コツですね。

質問さん
質問さん

やってみましたが、「今度こそ美人になれるかもしれない」という期待が、頭によぎって、なんだか諦めた実感がないです。
一度、徹底的に絶望を感じないとだめでしょうか。

達人さん
達人さん

あなたは今までに、「妥協したこと」ってあるよね。
「もう諦めよう、もういいや」ってなって、「これからどうしようか」ってなったときに、とりあえずは、「じゃあこうするか」っていう、妥協をしたことがあると思うけど、「じゃあこうするか」っていう時に、最高の自分を用意するんだ。
とにかく、ガッカリして、ガックリして、「あーあ」ってなって、「結局うまくいかなかったなあ」ってなって、そのまま仕方なしに、「妥協」として、最高の自分に「なる」んだ。

そのあとは、気が付いたら顔が変わってるんじゃないかな。
俺は顔が変わっても、「まあ当たり前だよな、この顔の自分に戻ったんだから」っていう感じだ。

質問さん
質問さん

私は、諦めて、「一生このまま、最高の美女の顔でいます」って言ってみても、そんなの無理だろ」っていう抵抗があります。

達人さん
達人さん

ひとまずは、ずっと急降下し続ければいいんだよ。
スキー場をイメージして欲しいんだけど、着地するところまで行けないのは、まだゲレンデの途中だからだよ。

「よし、諦めて滑ろう」となっても、すぐ怖くて、コケてしまって、「これでいいのかな」って言って、周りを見渡しても、まだゲレンデの途中だから、上にも行けないから、下に滑るしかないんだ。
あなたは、そのまっただ中にいるんだよ。

「望みを持った状態」っていうのは、いうなれば、リフトで山に登った状態なんだよ。
だから、いつか滑るしかない。
今までは、降りるのが怖くて、少しずつ・少しずつ、恐る恐る、降りていっただけなんだ。

だから、心底諦めきっちゃうのが一番早いよ。
そうすれば、「妥協」で「最高の自分になる」が出来ると思う。

質問さん
質問さん

私は、諦めてすっきりしながらも、あきらめたので悲しくなっています。
「私はブス」だということを諦めることができても、「私はかわいい」って諦めることはむりだよ」ってなってしまいます。
私は諦めることができてないんでしょうか。

達人さん
達人さん

まず先にスッパリ言うけど、あなたは諦めてません。

バンジージャンプの台に立ってる自分をイメージしてみてください。

あなたは「怖くないって言えば、怖くなくなる」って聞いて、「怖くない」って唱えることにしたんだよ。
だけど、あなたの目の前には、奈落にすら思える、恐ろしい風景が広がったままだ。
俺が「諦めなよ」と言っても、あなたは「諦めるけど、やっぱり怖いんです」ってなっているんだ。
だから、飛べばいいんだよ、諦めればいいんだよ。

諦めることに「悲しみ」なんか、あり得ないと思う。
泣きながら放り出される感覚に、絶叫することはあるだろうけど、悲しくは無い。
あなたが悲しいのは、ずっとしがみついているからだよ。
しがみつきながら、「この手をもう離さなきゃいけない」ということに対して、あなたは悲しんでいるんだ。

俺の場合は、「すげえジャンプスタイルだなあ」って、驚嘆する思いが湧いてくるね。

「一度のジャンプに、これほどドラマと熱意を注げるのか、やるなあ」っていう気分になれる。

というわけで、「諦めて飛んじゃえばいいんだよ」とは思うけど、あなたの晴れの舞台を「邪魔する気はないよ

奈落に身を委ねて、死をも覚悟して落ちれば、「きっと最悪な物語が流れ出してしまうだろう」と、あなたは考えるだろうけど、それに全てを委ねて、飛び込めばいいんだ。

質問さん
質問さん

「死をも覚悟する」とまで言われると、怖いです。
「最悪な物語が流れるのは嫌だ」と思ってしまいます。

達人さん
達人さん

あなたはしがみついたまま、手を離せないけど、手を離さなきゃいけないことだけは知っているから、悲しくなるんだよ。
お別れはどんなものだって悲しいけど、あなたのドラマは素晴らしいんだ。

死で例えるなら、もう生を諦めたなら、あとはもう、清々しい毎日だよね。
だって、いつ死んでもいいと覚悟したなら、したいことをしようと思うだろう。
不安を無視して、恐怖に立ち向かえばいいんだ。
不安と恐怖は別物だよ。

最悪な物語に飛び込んで、「ああ、もういいや」になったら、「仕方ないな、可愛い私でいいや」というのを選べばいい。
それは、最高にスリリングなバンジージャンプだ、エキサイトしていいんだよ。

さらにいうと、最悪な物語が流れていいんだよ。
人生丸ごと、全部ダメにしちゃっていいんだよ。

その「嫌だ」という気持ちが、実は、だめになったときの保険になってしまっているんだよ。
「ダメになっても、またここに戻ればいいや」って、思っちゃってるんだよ。

もうここに戻って来なくていいんだ、飛び込んでいいんだ。

そう思ったら、恐怖が湧いてこないかな?
その恐怖は、スカイダイビングに、ようやく向き合えた合図だ。
そのまま飛び込んで、全部諦めよう。
そうしたら、仕方なく、「最高の自分を選ぶ」っていうことが、わかってくると思うよ。

質問さん
質問さん

「もうかわいくなくていいや」っていうのが、「諦めてなる」ということなんでしょうか

達人さん
達人さん

そうではなくて、「もうどうでもいいや、私は可愛くてもいいや」っていうのが、「諦めてなる」だよ。
そもそも、「可愛い」に、絶対の定義なんかあり得ないんだよ。

「可愛くなること」そのものを諦める」という表現が近いかもね。
あなたが今まで信じてきた「可愛い」というのは、実は「可愛い」じゃなかったということだ。
あなたが信じてきた「可愛い」というのを、どれだけ突き詰めても、「可愛い」にはならないんだ。
「じゃあどうすればいいんだ、もう何も指針が無い、どこにいけばいいんだ、何をすればいいんだ、何もわからない、よし、仕方ない、私が可愛いになろう」という感じだ。

質問さん
質問さん

私は、数日間「諦めてからなる」というのをやってみて思ったのが、なっているなら、「諦めてない」という気持ちは、本当に必要ないですよね。
だって、すでになっているなら、「諦めない」という気持ちは、持ってないですよね。
私が今まで、願望実現に執着していたのは、諦めたくなかったからなんだということに気づきました。

そして、何故諦められないかというと、期待する気持ちが少しでもあるから、諦め切れないんですよね。
でも、なっているなら、「期待」も必要ないんですよね。
私は、絶望を感じたくないから、ほんの少しの期待でも持っていて、生きる気力にしたかったんだなと分かりました。
だから、「諦めてからなる」というのは、恐怖と絶望を感じることで、「諦めたくない」という気持ちや、「期待」のしがみつきを無くして、フラットの状態、ゼロの状態から、なりたい自分に「なる」んですね。
だから、「諦めてからなる」というのは、理に叶っていて、素晴らしいなと感じました。

達人さん
達人さん

そうなんだよ、俺も初めてやった時に、「俺は、諦めずにいたかっただけなのか」っていうことに気付いたんだよね。

「なったとき」っていうのは、「諦めない」という気持ちも無いし、「期待」もないよね。
達人さんは皆、「期待するな」って、口を酸っぱくして言っていたのにね。
さらに付け足すなら、現実を見て「叶ってない」って思うことは、あり得ないんだよね。
だって、諦めたのに、「叶ってない」というのは、おかしいよね、「それ諦められて無いじゃん」ってツッコミが入るよね。
「なる」というのは、願望実現への直結で、「諦める」というのは、「なる」への直結だよ。
だから、極論を言えば、「諦めたら叶うよ」というのでもいいかもしれないね。

なりたい顔になろう18
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/9650/1451089602/
628 : 幸せな名無しさん :2016/03/25(金) 11:39:23 zY4.GFXs0

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