【体感】「無いフィルターを外す」私たちは「全て叶っている、既にある世界」を、「無いフィルター」を通して見ているのです。「無いフィルター」を外せば、あなたの望むものは、既に目の前に物理的に存在します。

体感・気づき・方法論
質問さん
質問さん

あることがきっかけで・認識変更したんだけど、何をすれば良いのかわからなくなりました。
「どう思っても自由」、何をしても自由、だって自分の認識次第なんだから」っていうのはわかるけど、だからと言って、目の前の現実が一瞬にして変わるわけじゃないし、「本当に認識変更だけで現実が変わるのか!」って囁いてくるエゴもいるから、どうやって過ごせばいいかわからないです。

達人さん
達人さん

自分も、認識変更してすぐの頃は同じ感じでした。
願望について、自分(つまりエゴ)に出来る事は何もないし、何をしてても・何をしてなくても既にあるから、そのうち現象として現れてくるのも分かってるし、全部叶ってるからすることないな、さて、何しよう?」って感じですよね。
自分の答えとしては、「今を楽しんで、好きな事をしてよう」というものです。

自分のオススメは、自己観察さんのまとめを読んで、自己観察を続けてみることです。
自己観察で、残りのエゴに気付いて、統合して行くと同時に、「別の領域」、「本当の自分」に、意識的に浸ることによって、その場所を信頼できるようになってくると、様々な気付きが加速すると同時に、エゴも自然と出てこなくなりますよ。
気が向いたら自己観察をしてみて下さい。
気が向かなかったら、する必要は全くないです。

自己観察状態、「do」じゃなくて「be」というのは、本当の自分の立ち位置なんですよね。
認識変更直後は、「意識的に」本当の立ち位置に居続けていると、さまざまな気付きがあると思うのでオススメです。

認識が変わってから、まとめを改めて読むと、一度読んだことがあっても、当時とは理解度が全然変わってて面白いですよね。
答えは自分の中にあるし、もう知ってるので、やってることは「答え合わせ」みたいなもんですけどね。

質問さん
質問さん

自己観察で別の領域に入ると、「観察する」ことすら出来ないような気がします。

達人さん
達人さん

自己観察を「自分を観察すること」だと思ってると、少し遠回りしちゃうかもね。
自己観察をするのも、結局目指すところは、「自己観察状態」、つまり「瞑想状態」になることだね。
自分も、認識変更の前から瞑想を続けていたので、自己観察に入りやすいというのはあったかもしれないね。

質問さん
質問さん

既にある感覚というのは、どういう感じなのですか?

達人さん
達人さん

「既にある」については、様々な達人達が語っているし、様々な説明の仕方は出来るんだけど、説明して分かることでも、頭で考えて分かる物でもないよ。
だから体感するしかないよ、と前置きしておきます。

「既にある」っていうのは、「全部既に叶ってる」とか、「全部ある」と同じような意味だと思って下さい。
108さんは「物理現象として既に目の前にある」という様な説明もしてますね。

「そんなの嘘だ、どこにあるのよ」ってエゴ(つまり、思考、マインド)が言ってきそうですが、そりゃそうです、エゴに分かるわけがありません。
なぜなら、全てあって全て既に叶ってるのは、「エゴとは別の領域」、つまり・潜在意識みたいなものだからです。

なので、「頭の中にあるから、具現化してくれるだろう」というよりは、「全て既に叶っている」から、あなたの頭の中に現れた、とも言えます。
私たちは、「全て叶っている、既にある世界」を、一人一人それぞれが、「無いフィルター」を通して見ているのです。
フィルターを通して見ているので、あれはあるけど、あれがないように見える」という、様々な経験ができるわけです。

つまり「無いフィルター」を外せば、あなたの望むものは、既に目の前に物理的に存在する、という説明が出来るわけです。
その「無いフィルター」というのは、エゴ、つまりあなたです。
なので、そのフィルターを取っ払ってしまえば、そこは「既にある世界」、別の領域です。
そのフィルターを薄めるというか、一時的に取っ払うという行為が、「瞑想」、「自己観察」である、とも言えます。

そして、全てある中で、そのフィルターを個別に調整する行為が、「意図、選択」です。
意図は、全てあるので、「じゃあこれを見よう」という様な感じです。
後は、ほっとけば自然とそれが現れてきます。

このことが、体感としてわかっている、という感じです。
こんなことは、エゴに分かるわけがないので、頭で理解しようとするのをやめることです。
認識が変われば、自然と体感できます。
「既にある」が分かりたかったら、認識の変更をして下さい。

質問さん
質問さん

「ほっとけば現れてくる」というのは、どんな感覚なのですか?
例えば、500万円ほしいと思ったら、どのようにして、既に500万円があることを体感するのですか?

達人さん
達人さん

認識変更の1つの側面として、「願望=実現」が分かります。
「願望=実現」というのは、願望と実現はセット、という事です。
つまり、「500万円欲しい」と思った瞬間、別の領域には「500万円の実現がある」、という事です。
それが感覚として分かってるので、欲しいと思ったらそこでおしまいです、叶ってるのでもう何もする事がありません。

それが分かってないうちは、「500万円が欲しい」という願望を、願望のまま握りしめてしまい、「やっぱりそんな大金無理だよな」と取り下げてしまうから、いつまでたっても実現しないという事です。
握りしめなければ、別の領域が辻褄を合わせながら実現してくれます。
それが「ほっとけば現れてくる」という事です。
ほっとこうと思って、ほっとく訳じゃないです。
既に叶っていて、現象化するプロセスにおいて、自分に出来る事が何もない事が分かっているので、自然とほっといちゃうんです。

質問さん
質問さん

既にある次元というのは、脳内の次元でしょうか?
それとも、物理的な現象として、既にある次元が存在している感じでしょうか?

達人さん
達人さん

脳内にはないですよ。
基本的に、思考の中に何か答えがあるとは思わないほうが良いです。
前にも言いましたが、既にあるから、「頭の中に浮かんでくる」のです。
つまり本質は、「既にある」です。

あえて答えるとすれば、「物理的な現象として、既にある次元が存在している」という感じです。
ですが、それはあくまで印象です、そもそも言語化できるものでもありません。
思考で追わないでください、考えれば考える程、訳が分からなくなりますよ。

何度も言うように、頭で理解できる事じゃないんです、体感するしかないんです。
「認識変更したい」というのも願望であり、願望実現です。
つまり、別の領域には「認識変更」の実現がすでにあるという事です。
もし認識変更がしたいなら、「認識変更するぞ」という意図を持って、起きてくる事に身を任せる事です。

質問さん
質問さん

自己観察状態を続けていれば、いつか気づきが訪れるのでしょうか

達人さん
達人さん

そうですね、「気付き」とは「閃き」の様なものです。
ふとした瞬間に、気付きは訪れます。
気付こうと思って気付く物でもないし、閃こうと思って閃くものでもない、ただ、「訪れる」のです。
別の領域に浸ってるとき、「安心」や「幸せ」、「豊かさ」や「心地よさ」などを感じていますか?
その場所にはその全てがありますから、もし感じられていなかったら、その場所で・意識的に感じてみてください。
その場所にいれば、何の不安も心配も問題もありません、絶対的な「大丈夫」を感じられると思います。

後は必要な事は必要な時に起きてきますよ。
今までもそうですし、これからもそうです。
難しい事は考えずに、心地よさに包まれながら、移り変わる景色を楽しんでいてください

認識の変更のみを目指すスレ5
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1517169954/
180 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2018/02/27(火) 11:36:01 ID:YdkKFB3A0

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