「チケット7章は、この場所のことだったのか」っていうのが、物凄い腑に落ちた。
この場所は、誰もが居たことのある場所だと思う。
エゴに主導権を取られて、普段気にも留めていない場所に、チケット7章があった。
そこが別の領域であり、愛、既にある、安心感、安全、全部揃っていた。
その場所から、外の景色、外の世界、走り回るエゴを観察しているだけなんだ。
自分としては、テレビとか映画を観ている感覚に近い。
そしたら、世界が勝手に動いてくれるようになったよ
私は、考えずに感じようとしてるけど、まだ分からないです。
言葉にするのが非常に難しいんですが、部屋の中でエゴに振り回されて、怒ったり不安になったりしている自分を、押入れからただ淡々と見つめている自分がいる、という感じでしょうか。
そこが447さんが言っていた「立場」というものなんだろうし、桑田さんがいっていた「映写機」なんだと思ったら、全部繋がりました。
そこに居ると居心地が良くて、ずっとそこに居たくなる。
そこに居ると、もう既に全部揃っていて完璧だから、「欲しいよ」っていうエゴは、ほぼ騒がなくなります。
よく言われている「願望=実現」という表現は、この認識の変更によって初めて理解できる。
チケットに出会って半年、ずっと7章がわかりたくて格闘していたけど、こんなにあっけなくわかってしまって何か拍子抜けしてしまったよ。
ちなみに自分の決定的なミスは、「今の不足しているように見える世界」を、認めようとしないことだった。
それでループの繰り返しだったよ。
とにかく「今自分が作り出した現状を認める」というのは、大事だと思ったね。
昨日はお釣りを多く貰ったり、明太子を買いに行ったら、5個もタダで貰ったりしました。
本願が3つあるうちの一つはほぼ叶ってます。
「叶うという言い方が違和感ある」といわれているけど、それも、別の領域が分かるとその表現もしっくりくる。
別の領域を常に感じられるようになると、常に「今今メソッド」や、瞑想をしているのと変わらない感覚になれます。
7章認識に達すると、ただ単純な「意図」にしかならないんだ。
「水飲みたい」と思ったら、「水飲もう」で完結するみたいな感じです。
エゴの領域に身を置いたまま、「直結」とか、「完了した」とかをしても、「なった筈なのに目の前にないぞ」っていうループの繰り返しでした。
ここでつまづいている人が多いんだと思います
理屈はわかってるんだけど、そこにいけた実感がありません。
7章の世界はいきなりぴんと来たんでしょうか?
自分は、最初は直結とか完璧メソッドをやっていたけど、結局目の前にねーじゃんってループの繰り返しだった。
毎日毎日、願望のことばかり考えていたよ。
正直、チケット7章を何度読んでも意味不明だったんだ。
そこでisaさんの自愛に出会った。
どんな自分でも、ヨシヨシしてやれ、と思ってもなかなか厳しかった。
それでもくじけずに自愛に専念した。
そしたらある日、ふと思ったんだ
「自愛というのは、どんな自分でもまるっとOKで、自分を解放してやるってことか」ってね。
自愛は、条件付け、関連付けの放棄と同じことなんですよ
「今の境遇がこうだから、私は○○を達成できない」って言う感じで、あらゆる制限をかけていたのは自分だって気づいてから、ああここが7章なんだなって分かった。
自分にあらゆる条件を外すとどうなるか?
そこには、完璧、愛、安心・安全しかありません、時間の概念もありません。
桑田さんがいっていたように、「自分自身がワクワクさん」だったんです。
とにかくあらゆる制限を外して、自分を自由にしてあげて下さい。
ちなみに、安心の領域を、押入れという例えにしたのは、自分が子供の頃、押入れの中にいるのが落ち着いて好きだったからです。
押入れの中で寝るドラえもんが羨ましかったです。
それと7章って人生オートマチックって言いますが、自分の感覚としては、まだ着替えも歯磨きもできない子供の頃に、「服が着たい」、「歯を磨きたい」と言えば、親が服を着せてくれたり、歯磨きしてくれたりしてくれる、みたいな感じです
それ以上の充足もやってきますが、受け取るか受け取らないかは自分次第です。
108式成功体験談・その2
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1288174368/
951 :もぎりの名無しさん:2011/02/24(木) 15:09:00 ID:wohVCWrQ0