チケット七章を実践して復縁できました。
他にも色々願いは叶えましたが、私の場合、願いが叶うと大事なことを忘れていきます。
それで、だんだんエゴにのまれて、状況が悪化して、エゴがお手上げで、チケットを読み直して、実践しています。
願望が叶った後や、日常の中で、常にエゴから抜け出すのは難しいです。
「エゴから抜け出そう」というモチベーションを、保ち続ける事も難しいです。
それならあなたは、エゴから抜け出すことをすっかりあきらめたらいいです。
実はエゴというものは存在していません、それ自体が錯覚なのです。
ところが、あなたは別の領域を、エゴとの対比によって概念化しているため、両方の領域を、行ったり来たりしているように見えます。
あなたに必要なことは、自分自身の奥深い本質の部分に注目し続けることです。
そのために効果的なのは、一日に一回から数回、静かに瞑想の時間を持つことです。
日常に戻って、エゴが騒ぎだしたと思っても気にしないことです、それは単なる反応です。
反応を、あなた自身だと錯覚する必要はないです。
仮想的な錯覚の範囲で、起きている事柄に、敢えて集中し続ける必要は全くないです。
あなたが瞑想などによって、別の領域を体験しているとき、そこにもはや、「別」という枠組はありません。
それはあくまでも、エゴの領域から本質を認識するために用いられた概念です。
あなたが別の領域にいるとき、あなたはエゴの領域の外側に出ているのではないのです。
そのとき、エゴという仮想概念自体が消え去っているのです。
つまり、エゴは本来存在していないという事実を、ただ単に認識している状態になります。
これをたびたび経験したなら、あなたは日常生活に戻っても、エゴという仮想概念にしたがって、ゆらゆらと揺れることが、段々馬鹿馬鹿しく思えてくるでしょう。
でも、揺れたとしても、気にしないことです。
「ああ、揺れてんだな」と思っとけば良いいんです。
揺れに抵抗したって、もっと激しく揺れるだけです。
あなたが、それに気付いている視点を持ち続けていればそれでいいです。
あなたが「実践している」と思っている、チケットの七章や、メソッドでの意識の置き方は、実は、あなたにとって本来の状態であって、苦労して、敢えて実践するようなことではないのです。
実は、エゴと取り組んでいるときのほうが、あなたははるかに苦労して、別の領域に抵抗し続けているのです。
ところが、「実践」と思っている意識の置き方は、本来は自然な状態なので、努力は用いられていないのです。
エゴと取り組んでいるとき、あなたはとても努力しています。
別の領域にいるとき、あなたは何もしていません。
これが逆だと感じられるのは、あなたを始めとして、ほとんどの人が、エゴと取り組むことに決めたときから、知覚が逆転するようにセットされているからです。
では、この逆転を解除するにはどうしたらいいのかといえば、何もいりません。
「これは知覚が逆転している状態だ」、ということに気付いてさえいれば、たとえあなたが理性で納得できていなくても、いいんです。
この意識を絶えず持ち続けていれば、あたかもだまし絵を見ていて、
別の絵が視覚に突然飛び込んでくるようなことになります。
エゴが騒ぐ日常を経験しているときでも、「これはひょっとしたらまやかしかもしれないぞ」、といった態度で、知覚が正常に戻ることを、絶えずスタンバイしている状態になります。
こうなれば、エゴの正体が暴かれるのは時間の問題です。
実際には時間はないので、あなたの信念が適当な段階まで解除できれば、知覚は勝手に正常な状態に戻ることになります。
長々と言ってきましたが、要するに、「気にするな」ということです。
108質疑応答
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3290 名前:108★ 投稿日:2010/03/02(火) 02:26:18 ID:???0