【悟り】【自分さんpart17】「執着」とは、「意味」のことである。悟りとは、分かりやすくいえば、意味を持たせないことだ。意味を持たせるから、苦しみなどへ繋がるのだ。【自分以外のすべてが自分】

達人part
質問さん
質問さん

自分さんが言っていることがなんなのか、よくわかんないので、もう一回、マネーゲームからの脱出本を読んでみるよ

達人さん
達人さん

あなたの解釈するマネーゲームから脱出する法、というものがある、それはそれでよい。
ただ、その本は、執着に囚われないことを薦めている内容なのに、マネーゲームから脱出する法、という本に囚われてしまっては、本末転倒だろう、それを私は伝えている。
だが、私への解釈も、あなたの捉え方による。
そして、解釈すらも執着である。

根本的な苦しみを脱したければ、執着を捨てることだ。
つまり意味を探さないこと、求めないことだ。
質問があっても、疑問があっても、それは、質問や疑問がただあるだけである。

ただあるだけということが理解できるようになると、言葉で世界を見なくなる。
つまり、ただ感じるだけということを知る。
その境地になれば、意味は、意味をなさなくなる。
つまり、幸せも、不幸もない、ただそれがあるだけだ。

山に生息する虫を観察しなさい。
彼らは、ただ生きている。
そして、空気も、水も、土も用意されている。
なぜ我々は、不足に目がいってしまうのか。
もっと大きな視野から見れば、全部用意されていることが理解できるだろう。
ただ在るだけで、よいのだ。

質問さん
質問さん

虫はただ生きてる、それは分かる
でも私は思考を止められない、不快感を常に感じている
悪く言いたいわけじゃないですが、自分さんの回答は理想論だ

達人さん
達人さん

執着といわれると、理解しにくいかもしれないが、つまり、意味のことである。
単なる出来事に意味を持たせようとするから、苦しみや希望が生まれるのである。
ただ見たまま、聞いたままで終わらせれば良いのに、多くの人は、それらに意味を持たせる。
だから、理不尽などが生まれるのだ。

悟りとは、実に単純な話である。
わかりやすくいえば、意味を持たせないこと、すなわち、誰もが悟っているのだ。
それは単に、見聞きすることであるからだ。
だが、そこから意味を持たせるから、苦しみなどへ繋がるのだ。
だから、幻想ワールドとなる。
あれは良くて、これは嫌、みたいになってしまう。
執着=意味=解釈である。
いくらでも、同じことを指している言葉は出てくる。

ただ上司が怒鳴っている、それだけだ。
ただ独身生活がある、それだけだ。
なぜそこから、上司がむかつく、とか、自分は一生懸命やってるのにな、とか、このままひとりだったらどうしよう、とか、孤独だ、などへ展開させるのか。
その展開が幻想であり、苦である。
ポジティブも同じことだ。
それも、単なる出来事を展開させているに過ぎない。

単に見聞きした時点で終わらせればよい。
あなたは何をしても何を感じても、必ず意味に繋げているだろう。
思考を止めるといえば、大げさに感じるかもしれないが、ただ単に、意味を持たせなければ良いだけなのだ。

質問さん
質問さん

あんた最高だよ、でも、私には無理だ、そんな急には変われない

達人さん
達人さん

変わるのではない。
見聞きしている時点で、すでにその境地にあることに気付くだけだ。
あなたはすでにわかっている。だがそれらに、意味を持たせるから苦しいのだ。
私の発言も、単にそれがあるだけである。

例えれば、何年も前に興味があったことが、今は興味がないということがある。
その逆に、興味がなかったことに、今興味があるということがある。
つまり、その対象には何の力もなく、単に、あなたの捉え方が変わっただけだ。
その対象は、今も昔も、ただ存在している。

世界を変えるというのは、変わるのは世界ではなく、あなただ。
だが、それは執着である。
つまり意味に繋げなければ、最高も最低も、幸せも不幸もない。
ただ、それだけの世界を、ただ、それだけに生きるだけである。
虫たちをよく観察してみなさい。

すべては逆を見れば良い。
それ以外がそれを形成しているから、つまりすべて、逆なのだ。
あなたが何かを望むならば、望ましくないものがあるからだ。
では望ましくないものは、なぜ望ましくないのか。
その芽を捨て去れば、望みはなくなる。
つまり、希望という苦しみから解放される。
常に、逆を観なさい。

質問さん
質問さん

離人症は、悟りの境地なのかな。

達人さん
達人さん

離人症か。
他にも、ドラッグを摂取することで、ワンネスを体験する人も多いようだ。
ひとつ言えることは、病気であれ、ドラッグであれ、それを経験するあなたがあるということだ。
つまり、体験に、疑似も本当もない。
あなたの世界でそうなのであれば、そうなのだろう。

私は苦境に遭っていたとき、たまたまスピリチュアル本と出会い、ああ、こういう考え方があるのか、と知った。
そしてその考え方が、捉え方へと認識が変わってきたときになるほど、と理解をしたのだ。
それが書籍ではなく、ドラッグと出会っていても、やはり同様に、苦境や現実に対して、ああ、こういう捉え方があるのか、と、掲示板に書き込んでいるだろう。

つまり、何でもよいのだ。
体験自体は、なんでもよい。
対象との間で得られるもの、つまり、生み出されるエネルギーが大切なのだ。
何をやろうが、結果がどうあろうが、それに取り組んでいる様子がすべてなのだ。
高価なカメラ、高価な楽器、高級車など、それらを手に入れたが、道具に支配されたり、振り回される人が多くいる。
その結果、何も生み出せない、苦しいだけだ。
思い入れすらもない、安い道具を手にした方が、スマートに未知を生み出せたのではないか?

お金を使うことで得られる未知が大切だ。それは形あるものではない。
お金自体に執着をし、ケチった暮らしを送れば、間違いなく支配下に置かれる。
この世のすべては、未知を生み出すためだけに存在している。
お金を使う経験をして、なんぼなのだ。
理由や実証、証拠、裏付け、意味など、そんなものはあなたの生にとって、足枷以外のなにものでもない。

質問さん
質問さん

空というのは、何も無い空っぽ状態というか、すべてを包括してしまう空間だから、そこには離人感覚も無いと思う

達人さん
達人さん

物事に囚われてはいけない。
仮に、仏陀がドラッグ中毒だったとしたら、または、離人症だったとしたら、あなたにとって、仏陀の教えが曇り出すのだろうか。
だが、仏陀は仏陀である。
あなたの世界では、すべてがあなたにとってあるがままにあるのだ。
つまり、すべて正しい。

だが、正しいも間違いもない。ただそこにポンと、それが置かれているだけだ。
それを、ただそれとして、感じればよい。
前にも言ったが、大切なのは、あなたの世界にそれが現れたときに生じるエネルギーだ。
あなたが2年後に、サッカーに興味を持つとする。
社会人なので、小学生とは違って、グレードの高いスパイクなどを揃えることができるだろう。
高い会費のクラブへ、入門することもできるだろう。
だが、高いスパイクや、クラブのスケジュールに囚われてしまっては、純粋なエネルギーを得られない。

サッカーに興味を持ったあなたは、決してサッカーをしてはいけないのだ。
つまり、裸足で、整地されていない空き地で駆けまわっている子ども達の方が、サッカーを通しているより、サッカーを離れた楽しさを感じ取れるのだ。
空の意識を捉えるには、空の意識に漬からないことだ。
純粋に、それが生じさせてくれるエネルギーを感じればよい

◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法13◆◆
529 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:7KJPo90U

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