自分さんが言っていることがなんなのか、よくわかんないので、もう一回、マネーゲームからの脱出本を読んでみるよ
あなたの解釈するマネーゲームから脱出する法、というものがある、それはそれでよい。
ただ、その本は、執着に囚われないことを薦めている内容なのに、マネーゲームから脱出する法、という本に囚われてしまっては、本末転倒だろう、それを私は伝えている。
だが、私への解釈も、あなたの捉え方による。
そして、解釈すらも執着である。
根本的な苦しみを脱したければ、執着を捨てることだ。
つまり意味を探さないこと、求めないことだ。
質問があっても、疑問があっても、それは、質問や疑問がただあるだけである。
ただあるだけということが理解できるようになると、言葉で世界を見なくなる。
つまり、ただ感じるだけということを知る。
その境地になれば、意味は、意味をなさなくなる。
つまり、幸せも、不幸もない、ただそれがあるだけだ。
山に生息する虫を観察しなさい。
彼らは、ただ生きている。
そして、空気も、水も、土も用意されている。
なぜ我々は、不足に目がいってしまうのか。
もっと大きな視野から見れば、全部用意されていることが理解できるだろう。
ただ在るだけで、よいのだ。
虫はただ生きてる、それは分かる
でも私は思考を止められない、不快感を常に感じている
悪く言いたいわけじゃないですが、自分さんの回答は理想論だ
執着といわれると、理解しにくいかもしれないが、つまり、意味のことである。
単なる出来事に意味を持たせようとするから、苦しみや希望が生まれるのである。
ただ見たまま、聞いたままで終わらせれば良いのに、多くの人は、それらに意味を持たせる。
だから、理不尽などが生まれるのだ。
悟りとは、実に単純な話である。
わかりやすくいえば、意味を持たせないこと、すなわち、誰もが悟っているのだ。
それは単に、見聞きすることであるからだ。
だが、そこから意味を持たせるから、苦しみなどへ繋がるのだ。
だから、幻想ワールドとなる。
あれは良くて、これは嫌、みたいになってしまう。
執着=意味=解釈である。
いくらでも、同じことを指している言葉は出てくる。
ただ上司が怒鳴っている、それだけだ。
ただ独身生活がある、それだけだ。
なぜそこから、上司がむかつく、とか、自分は一生懸命やってるのにな、とか、このままひとりだったらどうしよう、とか、孤独だ、などへ展開させるのか。
その展開が幻想であり、苦である。
ポジティブも同じことだ。
それも、単なる出来事を展開させているに過ぎない。
単に見聞きした時点で終わらせればよい。
あなたは何をしても何を感じても、必ず意味に繋げているだろう。
思考を止めるといえば、大げさに感じるかもしれないが、ただ単に、意味を持たせなければ良いだけなのだ。
あんた最高だよ、でも、私には無理だ、そんな急には変われない
変わるのではない。
見聞きしている時点で、すでにその境地にあることに気付くだけだ。
あなたはすでにわかっている。だがそれらに、意味を持たせるから苦しいのだ。
私の発言も、単にそれがあるだけである。
例えれば、何年も前に興味があったことが、今は興味がないということがある。
その逆に、興味がなかったことに、今興味があるということがある。
つまり、その対象には何の力もなく、単に、あなたの捉え方が変わっただけだ。
その対象は、今も昔も、ただ存在している。
世界を変えるというのは、変わるのは世界ではなく、あなただ。
だが、それは執着である。
つまり意味に繋げなければ、最高も最低も、幸せも不幸もない。
ただ、それだけの世界を、ただ、それだけに生きるだけである。
虫たちをよく観察してみなさい。
すべては逆を見れば良い。
それ以外がそれを形成しているから、つまりすべて、逆なのだ。
あなたが何かを望むならば、望ましくないものがあるからだ。
では望ましくないものは、なぜ望ましくないのか。
その芽を捨て去れば、望みはなくなる。
つまり、希望という苦しみから解放される。
常に、逆を観なさい。
離人症は、悟りの境地なのかな。
離人症か。
他にも、ドラッグを摂取することで、ワンネスを体験する人も多いようだ。
ひとつ言えることは、病気であれ、ドラッグであれ、それを経験するあなたがあるということだ。
つまり、体験に、疑似も本当もない。
あなたの世界でそうなのであれば、そうなのだろう。
私は苦境に遭っていたとき、たまたまスピリチュアル本と出会い、ああ、こういう考え方があるのか、と知った。
そしてその考え方が、捉え方へと認識が変わってきたときになるほど、と理解をしたのだ。
それが書籍ではなく、ドラッグと出会っていても、やはり同様に、苦境や現実に対して、ああ、こういう捉え方があるのか、と、掲示板に書き込んでいるだろう。
つまり、何でもよいのだ。
体験自体は、なんでもよい。
対象との間で得られるもの、つまり、生み出されるエネルギーが大切なのだ。
何をやろうが、結果がどうあろうが、それに取り組んでいる様子がすべてなのだ。
高価なカメラ、高価な楽器、高級車など、それらを手に入れたが、道具に支配されたり、振り回される人が多くいる。
その結果、何も生み出せない、苦しいだけだ。
思い入れすらもない、安い道具を手にした方が、スマートに未知を生み出せたのではないか?
お金を使うことで得られる未知が大切だ。それは形あるものではない。
お金自体に執着をし、ケチった暮らしを送れば、間違いなく支配下に置かれる。
この世のすべては、未知を生み出すためだけに存在している。
お金を使う経験をして、なんぼなのだ。
理由や実証、証拠、裏付け、意味など、そんなものはあなたの生にとって、足枷以外のなにものでもない。
空というのは、何も無い空っぽ状態というか、すべてを包括してしまう空間だから、そこには離人感覚も無いと思う
物事に囚われてはいけない。
仮に、仏陀がドラッグ中毒だったとしたら、または、離人症だったとしたら、あなたにとって、仏陀の教えが曇り出すのだろうか。
だが、仏陀は仏陀である。
あなたの世界では、すべてがあなたにとってあるがままにあるのだ。
つまり、すべて正しい。
だが、正しいも間違いもない。ただそこにポンと、それが置かれているだけだ。
それを、ただそれとして、感じればよい。
前にも言ったが、大切なのは、あなたの世界にそれが現れたときに生じるエネルギーだ。
あなたが2年後に、サッカーに興味を持つとする。
社会人なので、小学生とは違って、グレードの高いスパイクなどを揃えることができるだろう。
高い会費のクラブへ、入門することもできるだろう。
だが、高いスパイクや、クラブのスケジュールに囚われてしまっては、純粋なエネルギーを得られない。
サッカーに興味を持ったあなたは、決してサッカーをしてはいけないのだ。
つまり、裸足で、整地されていない空き地で駆けまわっている子ども達の方が、サッカーを通しているより、サッカーを離れた楽しさを感じ取れるのだ。
空の意識を捉えるには、空の意識に漬からないことだ。
純粋に、それが生じさせてくれるエネルギーを感じればよい
◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法13◆◆
529 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:7KJPo90U