【悟り】【自分さんpart20】すべてを感じよ、言葉を捨てよ。「感じる」というのは、「今」しかできない。感じている間、言葉を捨てている間、あなたは「今」にある。【自分以外のすべてが自分】

達人part
【自分さんpart20】すべてを感じよ、言葉を捨てよ。「感じる」というのは、「今」しかできない。感じている間、言葉を捨てている間、あなたは「今」にある。【自分以外のすべてが自分】
達人さん
達人さん

街を歩けば、様々な物が目に飛び込むだろう。
それらはあなたの認識だ。
様々な音も聞こえるだろう、それらもあなたの認識だ。

あなたの認識で埋め尽くされているのが、あなたの世界だ。
あなたが何かに焦点をあてて、考え事をする。
そういったことも、あなたの認識だ。
あなたの世界だけに生まれた、独創的な創造物である。

常に、自らの認識に包まれていることを、意識しなさい。
それは毒にもなり、快楽にもなる。
だが、すべては幻である、囚われてはいけない。
囚われないとは、あくまで単にそれがあるだけ、という距離感を保つということだ。
客観的な視点で物事を見ることだ。
決して同一化しないことだ。

すべてを言葉に置き換えて観ないことだ。
我々は、郵便ポストが目に飛び込めば、郵便ポストという言葉で認識する癖がある。
だが、それは郵便ポストではない。
そのように教え込まれただけで、それ自体は単なる物体だ。
物体すらも、言葉を与えなければ存在できない。
そうなれば、モワっとした波動のようなものとして、感じることができるようになる。

すべてを感じよ、言葉を捨てよ。
感じる、というのは、今しかできない。
つまり、感じている状態とは、今にあるのだ。
肌に触れる気温を感じ、足にかかる重力を感じなさい。
感じている間、言葉を捨てている間、あなたは今にある。

あなたが持病に悩んでいたとする。
だが、同じ持病を持つ誰かは、それを屁とも思っていなかったりする。
経済的な問題も同じだ。
それはどういうことか、 同じ対象に対して、認識が違うのだ。
それが世界だ。
生だ。
そしてあなたという世界観だ。

ダンサーインザダークという映画があるが、あれをブラックコメディーと捉える人は、ずっと大笑いしているだろう、人それぞれの世界観があるのだ。
価値観というチープな表現に収まってしまっているが、個々の世界観は、その人の生きる世界そのものである。
そして、誰にも等しく今がある。

例えば、乳母車を幸せそうに押して歩いている、奇麗な若い奥さんがいる。
彼女は、去年までOLだった。
OL時代は、日々与えられた業務をこなし、休日は同僚と海外旅行して、コンパやおしゃれに勤しんで、それは充実した毎日だった。

さらに数年前、彼女は女子大生だった。
大学時代はたくさんの出会いに恵まれ、車を持っている彼氏に連れられて、たくさんの場所を訪問した。
訪れたすべての場所が思い出である。
美容にも、ダンスにも、ヨガにもどっぷり漬かり、日々アルバイトしながら自分を磨き、友人たちが持ってくる、常に新しい世界の扉に、ワクワクしながらの毎日だ。

さらに数年前、彼女は女子高生だ。
当時の流行に遅れることなく、ギャルである。
文化祭の出し物で、毎日遅くまで練習して、クラスメイトと盛り上がったダンスや、バンドに誘われて、ギターを担いで、日々練習に明け暮れた。
みんなの進路の相談に乗ったり、相談に乗られたりして、毎日が笑顔であふれた生活だった。

さらに、中学生、小学生と遡っていく。
クラブ活動、運動会、テスト、塾、彼女はいつも、今を生きていた。
先のことに悩んだり、不安を持ったりはしないのだ。
先のことを考えだせば、ネガティブにつつまれるだろう、だが彼女は、それを知っていた。
だから常に、今しかないと生きていたのだ。
今を感じていたのだ。

肌に触れる空気、温度、自分を中心に流れ来る街の音、ただ観ている視界、そのように、あるがままに生きているのだ。
彼女には今しかない。
いつも今しかないのだ、それがあればいいのだ。
誰かにとっては重みのない人生と言われるのだろうが、彼女にとっては、ただ今を目撃してきただけの人生であり、それはこれからも続く。

これは、私の妄想で、実在しないフィクションであるが、一般的には、こういう彼女のような人は、幸福な人生である。
あなたもフィクションを書いてみるといいだろう、どういう人がどういう人生ならば幸福なのか、必ず今を生きているにたどり着くだろう、至極単純な話である。
だが、大切な部分はそこではない。
仮に、この彼女が高校時代に何かに悩んでいたとしても、乳母車を押している今からすれば、宝石のような思い出なのだ。

あなたも存分に人生を味わい尽くしなさい。
蝶は10日ほどしか地上で生きられないが、今を感じている彼らにとって、それは永遠である。
蝶の人生に、制限を感じているのは他者である。

くだらないのは、今月の支払いどうしようー、とか、明日仕事嫌だなー、とか、ありもしない世界を、延々と作り出して、自ら苦しんでいることである。
それは、マゾヒズムである。

今が最高ならば、それでよい。
今を、常に最高にしなさい。
そうすれば、あなたの人生はカラフルに花開くだろう。

今が良ければ、それでいいのだ。
今だ、本当に今だ。
今、今、今、今、あなたは今何をしている?
今に入り込みなさい。

今していることを、完全に受け入れなさい、それだけがすべてだ。
それだけでいいのだ、それだけのために、あなたは生まれてきたのだ。
先のことなんて、1分先のことも、考えなくていい。
流れが勝手に起こり、勝手に展開していくから、考えなくていい。

だから、今に在りなさい。
今と感じているなら、コンマ遅れて今とか、そんなものはどうでもいい、あなたが今と思っていれば、今だ。
今、これがすべてだ。
蝶の生は、永遠だ。
彼らは常に、今を感じているから。

ただ、今を最高にしなさい。
それが至福の人生への、チケットである。
焦りは今を受け入れていないから起こる。

質問さん
質問さん

現実逃避と悟りの違いは何ですか

達人さん
達人さん

現実逃避と悟りの違いは何か、といえば、現実逃避と悟りの違いは何か、が答えである。
つまり、どうでも良いことだ、答えなどない。
なぜ、あなたのしっくりくる答えを探し求めるのか、それがそもそも間違っている。

あなたの世界に浮かんでいる出来事、事象のすべては、リアルだ。
間違いなどない、すべて正しいのだ。
なぜならば、あなたの認識しかないからだ。
自ら生んだ素敵な創造物に囚われないように、いまを感じていなさい。
感じるのだ、最高に感じるのだ、ロックンロールでありなさい、常に強烈でありなさい。

体から滲み出るほど、強烈に今に在りなさい。
自らの頭部をぶち抜き、頭なし、つまり、首から下だけで生きなさい。
思考は制限を与えるしかない。

エックハルト・トールは、思考は社会生活には必要である、と書いているが、私はそうは思わない。
ここが日本だからかもしれない。
思考など、無駄、無駄、無駄!

ただ在りなさい。
日本の社会では、その方が縦横無尽に生きられる。
腐った死体や、ゾンビのように、思考の止まった体から、生々しいニオイが感じられたら良い兆候だ。
風呂に入るな、と言っているわけではない。
今を感じ続ければ、自らの体から、肉のニオイを感じるのだ。
強烈に今にありなさい、それだけでいい。

◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法13◆◆
748 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN ID:JO+jxBx8

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