「ある」というのが前提なら、なにしようがしまいが・実現してるのに、結局「ない」に取り下げてしまってるのかもしれません
頭での理解じゃなくて、本当に自分が「在る」と感じられるかどうかだよ。
自分が認識できなければ、それは「ない」になる。
例えば、Aという人がいて、あなたは「Aさん」としか呼べない場合、
それはまだ、「Aちゃん」と呼べる認識がないからだ。
でも、あるときをキッカケに、心の何か硬いものが崩れて、「Aちゃんと呼べそうだな」という「認識変更」が現れた。
あるとき、自分でも気づかないうちに、いつの間にか「Aちゃん」と呼んでいる自分に気づいた、これが認識変更についての身近な話だよ。
既にあるは、全然実感が無くて、全くわからないのに、すでにあるを採用しても無駄でしょうか
既にあるというのが、本当にわかってないと、それは頭での採用だから、エゴが先走りして難しいだろうね。
ちゃんと「スポン」と腹落ちして、潜在意識で理解できればわかるよ。
認識変更のカギは、「気づき」だよ。
気づけば、そこから変更された認識世界の住人になる。
そして、それに伴った引き寄せが起こるようになる。
世界の全てを認識しているのは誰ですか。
あなたしか、世界を認識できません。
世界の全ては、あなたから認識されているとわかりますか。
あなたが世界で、世界があなたなんです。
世界・イコール・自分というのが実感できません
今の現状を、自分が望んで創った」というのがわからないです
例えば、1本の映画を100人で観た場合、その映画をどう捉えて、どう感じるのかは、100人いれば感想も100通りある。
とてもよかったと思う人もいれば、途中で寝てしまう人もいるだろう。
人それぞれの捉え方があり、「認識がその人の世界を創っている」・という意味が、「自分・イコール・世界」という意味で、それは人生でも同じことだよ。
無意識であっても、自分が選択しているという点で「自分が望んで造った」という表現になる。
「何々が無いから欲しい」っていうのは、「無い」が前提になっていて、それが無意識に「無い」を望んでたっていう事ですか
「何々が無いから欲しい」というのは、その人の認識状態に反映してくる。
例えば、車が欲しいという場合、「いつか買えるだろう」と思える人は、そうなるだろう。
しかし、「車が欲しいけど、高いしなあ、お金ないしなあ、買えないよなあ」という人の認識には、「車は手が届かないもの」という認識になっている。
それは、「ない」を選択しているとも言える。
そこから、自分がどう認識変更していけば、「ない」を「ある」に変更できるのか。
それは、その人の車に対する認識度合いに左右される。
車でも、恋人でも、仕事でも、家を買う場合についても同じで、
「恋人なんてすぐ作れる」と思っている人ほど、現実化しやすい。
就職なんてすぐ出来ると思える人ほど、就職は決まりやすい。
車だって、家だって、リーダーになる人だって同じだよ。
自分の認識が世界を創りやすくしている。
「車がない」というのを「車がある」に変えるにはどうすればいいですか?
車を持つに相応しい自分を、許容すること、または、認識できるようにすることだね。
本当に車を手に入れたいなら、車を持つことを許可して、「車を持っている自分」のエネルギーにまかせて生活していくことだ。
つまり、「車を買う」という世界に生きることだよ。
決めるのは顕在意識で、叶えるのは潜在意識だ。
自分がどう在りたいのかを決定すれば、世界はそのように創造されていくだけだ。
「決めるのは顕在意識ではない、顕在意識に決定する力なんてない、
願望が湧いたということは、既に叶ってるから、叶える必要なんてない、既にあるというのは、すでに叶ってる」っていうのが、認識の変更だと私は思っています。
決めるのは顕在意識で間違いないよ、それは言うまでもない話だよ。
ただ、叶える潜在意識にストッパーがあるかないかで、結果は変わってくる。
「既にある」というのは、色んな段階で語られていて、奥深いものなんだよ。
認識の変更のみを目指すスレ2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1456149329/
971 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2016/05/31(火) 14:46:04 ID:UxMd4fCA0