スピリチュアルは、二手に道が分かれている。
多くの人は、今の人生にマジカルなスパイスを求めていると感じることが多い。
確かに、すべては神秘だ。
そもそも空気ってなんなのだ、見えない上に触れられない。
科学という解釈の上で、洗脳的にそれが空気ですと教えられてきただけで、実体がなんなのか、考えてみればわからない。
息を止めれば苦しいが、本当に苦しいのか、そもそも苦しいってなんなのだ?
苦しいというのは、苦しくないがあるから、苦しいのだろう。
だが、苦とはなんなのか。
それは、我々が植え付けられたように、本当にネガティブなものなのか?
ではネガティブとはなにか。
ポジティブがあるからネガティブがある、なぜ分ける必要があるのか。
体感的な快楽を基準にしているのなら、どういう選別でポジとネガを判断するのか。
それは、過去の記憶からなのか?
記憶が基準ならば、人それぞれ、そして人生のタイミングに置いては、ポジとネガが、逆転するということだろう。
それなら、具体的な定義はないということだ。
腸に走る毛細血管と、天空を切り裂く稲妻の閃光は、非常によく似ている。
銀河星雲とカタツムリの巻き方の渦巻き型は、非常によく似ている。
枝分かれした樹木の画像と、衛生から俯瞰した河川の映像は、非常によく似ている。
それらは、まるで同じもののようだ。
だが、なぜ似ているかは解明されていない。
この世のすべてはシンプルだ、遥かかなたのものと身近なものが、同じである。
たまたま昨日読んだ恋愛コミックと同じシチュエーションで、異性との運命の出会いを体験するのは、よくある話だ。
このようなシンクロニシティー、一見不思議なタイミングを痛感する場面は多い。
それらが神秘的、不思議、偶然と思い込んでいるから、そうなるのだ。
それらがごく当たり前のものだと認識したとき、あなたは世界のすべての出来事が、ただ浮かんでいるだけ ということに気付くだろう。
そして、出来事に囚われなくなる。
すべては勝手に訪れるものであり、そもそも、自分が認識している時点で所有していることがわかり、求める必要もなくなる。
近づくものは、勝手にやってくる。
それは、あなたのいまの暮らしを見てみればわかるだろう。
そう、勝手にやってくるのだ。
神秘も当たり前も、あなたの世界にただ在るだけのことだ。
それらが勝手に、あなたの五感に生まれては消えるのを、繰り返しているだけだ。
あなたがおしゃれに目覚めたとしよう。
それはおしゃれに目覚めたという思考が生まれただけであり、あなた個人が、積極的に目覚めたわけではない。
突然部屋の壁に出現した、ゴキブリと同じである。
突然鳴りだした、電話の呼び出しオンと同じである。
何事も、突然に、そして唐突に生まれる。
そして、無に消え去っていく。
神秘を感じることも、あなたの知覚に、ただ神秘を感じているだけである。
それが神秘とか、そういうのは正直関係ない。
なぜなら、神秘と捉えれば、すべてが神秘であるからだ。
スピリチュアルのもうひとつの道とは、三次元的な解釈、人生の応援メッセージである。
相田みつをの文章のように、または、感動的な訴えを含んだ映画のように、ただ、苦しむあなたへこうすればいいよ的なアドバイスを与えるものが、スピリチュアルの側面である。
マジカルで神秘のベールとして捉えるか、それとも、人生の応援メッセージとして捉えるか、どちらから入っていくのも、人それぞれである。
ただ、すべては神秘であり、すべてはそれらがなんなのか、わからないところに、我々はいる。
それを神秘と認識していないから、書籍を読むことで、神秘の片鱗を感じているのは、あなたが人生で何もみていないからである。
あなた自体が、そもそも何なのか、理解は不能だろう。
あなたにまつわる人生の流れも、そもそも、基準やルールがあるのかも不明だろう。
理解も、基準も、ルールも、すべてを含んだひとつの総合体が、あなたの生きる世界であり、その世界こそが、あなたなのである。
だから、世界を大事にしなさい。
すべてに意味がある。
意味があるというのは、すべてがあなたを構成している欠片であるということだ。
死はあなたのセーフティーであると言ったが、いまいち理解していない人が多いようだ。
ならば、余命1日、明日死ぬと思いなさい。
あれこれ思考の脂肪で重かったものが、シェイプアップされるだろう。
そしてなにより、死を認識することで、ただ生きていたことが、どれだけ良いものなのか浮き彫りになってくるだろう。
なぜならば、死とは、生との対極、それでワンセットだからだ。
頑張っても良かったし、頑張らなくても良かったし、成功しても良かったし、失敗しても良かった。
おいしいものも食べたし、まずいものも味わった。
好きなアイドルのポスターも貼ってたし、趣味に無駄使いもしてきた。
ただただ、経験をしてきたことが、死と直面したときに、どれだけ素晴らしかったのかわかる。
正しく生きることや、成功して勝つことなど、まったくどうでも良いことであり、単に生きていて、退屈を感じていた日もあり、近所のおばちゃんと挨拶をした瞬間もあり、そういうことが、とてもキラキラしていて奇麗だったことが、死を目前としたときに見えてくるだろう。
あなたを、あせらせるものに、必死に対応したり、抵抗する必要もない。
失敗したり、全部失っても、そういう体験があるだけだ。
ただ呼吸をして生きているだけで、あなたが死を迎えるときに、ああ生まれてきてよかった、と、悟れるのだ。
願いは常に叶っている、という話を伝えよう。
あなたが手に入れたとは、どういうことなのか。
それが、お金であったり、異性であったり、物であったりするわけだが、多くの人は自らの所有となったときに、手に入れたと考える。
では、所有とはなにか。
ダグラス、ハーディングの言葉を借りれば、あなたの世界にそれが現れた時点で、それが所有なのだ。
彼の著書にも似た話があるが、例えば、あなたがタクシーに乗ったとしよう。
目的地について、請求された料金の高さに驚いたとする。
だが、あなたの為にそのタクシーがあり、そのタクシードライバーが、その日あなたを乗せるために人生があり、車というものが考案、製作されその歴史があり、つまり、あなたのためだけに、あなたのひとときの便利さだけの為に、それらが存在しているとなれば、ツーメーターで1080円は、何が高いのか。
目の前を異性が通る、それだけで、あなたの人生の所有ではないのか。
これを理解、納得しなければ、あなた方は堂々巡りだろう。
だがそれも、堂々巡りを得られたのだ、ハッピーではないか。
何かを引き寄せるマジックなんかを、求める必要はない。
現状を、理想の状況に転換させることに、四苦八苦する必要もない。
プラスもマイナスも、それを認識できる土俵があっての話である。
土俵とは、言うまでもなく、あなたの世界だ。
つまり、あなたの世界でしか、世界一の美女も、スーパーカーも、希望も、絶望も、涙も、何も存在できないのだ。
あなたの世界とは、つまりあなたである。
引き寄せも、そういうお話が、あなたの世界に在るだけのことであり、それ自体は、なんの力も持たない。
成るように成る、ただそれだけである、それに身を任せればよい。
何か行動が必要なときは、あなたは行動しているだろう、ただそれだけだ。
だから、悩みや不安は、無駄なものである。
何の力も持たない。
つまり、すべては何の力も持たないのだ。
あなたの世界とは、つまりあなたである。
引き寄せも、そういうお話が、あなたの世界に在るだけのことであり、それ自体は、なんの力も持たない。
成るように成る、ただそれだけである、それに身を任せればよい。
何か行動が必要なときは、あなたは行動しているだろう、ただそれだけだ。
だから、悩みや不安は、無駄なものである。
何の力も持たない。
つまり、すべては何の力も持たないのだ。
流れしかない。
そして流れこそが、本当の自分とわかる日が来る。
すべてを受け入れるということは、自分を知るということだ。
流れに身を任せなさい。
悩んでも悩まなくても、行き着く先は同じである。
なぜなら、それがあなただからだ。
あなたが普段自分と思っている以外のすべてが自分なのだ。
流れとひとつになりなさい、状況とひとつになりなさい。
今あなたが置かれている状況、つまり、経済苦や孤独など、それとひとつになりなさい、それがあなただ。
あなたは経済苦であり、孤独であり、それこそがあなたなのだ。
それ自体になってしまえば、苦しみはない。
そして、今度は経済的な安心や結婚など、そういう出来事が起これば、それもあなただ、それとひとつになりなさい。
現状、状況こそが、あなたである。
いまこの瞬間こそが、あなたである。
目に見える物、明日の予定を考える思考、現在抱えている苦しみ、それらすべてがあなたである。
よって、三次元的なあなたがどうにかできる問題ではない。
問題は決して解決できない。
解決できるのは、流れである。
流れとは、本当のあなただ。
◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法13◆◆
433 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN ID:ILUJosex