痛いときに気持いいって思えばいい、ということですか
あなたの見解がそうであるならば、そうなのだろう。
だが私は 何らかの感情が生まれた時点で、それを味わおうとすることの快楽について述べている。
痛いや、気持ちいいは、思考による産物だ。
その思考が生まれる前、つまり、アクションが発生した瞬間の快楽である。
そこに常にフォーカスをしていれば、人は快楽状態に気付く。
これは、ただ単純に、あなた方に常に起こっている出来事だ。
だが、快楽の後の思考、例えば、過去の記憶などへ、結びつけてしまい、その結果、苦しみとなる。
派手な暮らしを送っていれば、派手なトラブルが付きまとう。
お金を最大限節約する暮らしを送れば、常に質素な生活を受け入れる必要がある。
あることを享受すれば、それと同等の責任を追う。
ラジニーシは、これをコインの表と裏に例えている。
自由に生きている人ほど、制約を背負っているものだ。
幸せな家庭生活を送るには、それと同等の支える努力が必要だ。
片方だけを求めることはできない。
だからキリストは言ったのだ、世界を制覇しなさいとね。
世界を制覇する、とは、コインの表と裏を受け入れるということだ。
大きな利益を生む仕事をしていれば、大きな負債を追うこともある。
両方を同時に受け入れ、そして、その両方でひとつであることを理解できれば、あなたは世界を制覇したのだ。
つまり、コインそのものになる。
三次元世界では、運命、つまり、世界は変えられる、と言えるのではないですか
変わるのは世界ではなく、あなただ。
あなたが変わることにより、世界の見え方、感じ方が大きく変わる。
この三次元世界は、主観の中にあり、すべての事象は、この主観によって、私の目に映し出されているのなら、事象=主観と言う事に成るかと思います。
そのように難しく考えれば、あなたにとってそうなのだろう。
だが、雨の日に雨の音が聞こえる、つまり音がある、ただそれだけのことだ。
音があるという、よく考えてみれば不思議なことに気づけば、あなたが感じるすべてが、それまで当たり前に感じていたすべてが、なんとも不思議であると理解できるだろう。
そして、あなたは世界に受け入れられ、そしてその中で愛され、生きていることが見えてくるだろう。
ある画用紙に絵が描いてある。
多くの人はその絵をフォーカスするが、画用紙という土台があるがゆえに、いくらでも絵という幻があるのだ。
ちなみに、スピリチュアルも、私が日頃伝えている内容も、マネーゲーム本も、すべてあなたの世界、あなたの人生の中の、単なる出来事である。
それは絵であり、画用紙は、あなたの人生である。
だから、どんな人生のコツが現れようが、どんな幸福や、不幸、好奇心、感情が現れようが、あなたが人生を終わらせれば、すべて消滅する。
だから、すべてがあなただけに用意されたスペシャリティーなのだ。
あなたを持て成すために、テレビのアイドルもいれば、カッコいいブランドもあり、高級外車もあり、夢や理想や、不幸や、天気があり、つまりすべてがある。
それら全部が、あなたのためなのだ。
だから、追求は何の意味もない。
それに気づくとき、あなたは理解するだろう、エゴは概念だ
これすらも、あなたの中の単なるイベントである。
見たまま聞いたまま、感じたままがすべてである。
そしてあなたである。
つまりすべてがあなたなので、何の意味もない。
あなたがやめれば、終わるだけだ
このシンプルな意味を、多くの人は理解できない。
きっと何か意味があるんだろうと追求する。
だが、あなたが意味があると思えば、あるのだろう。
そして、あなたが意味がないと思えば、ないのだろう。
つまりあなたがすべてなのだ。
コツも、教えも、悟りも、すべてあなたの中だけのお話なのである。
あなたが右を向けば右が見える、ただそれだけだ。繰り返すが、このシンプルな意味を多くの人が理解できない。
スピリチュアルでは、あなたが右を向いたから、右の世界が用意され、あなたに見させることができたのだ、ということになる。
一体何が違うのだ、すべては捉え方である。
ひとつ決定的なのは、あなたが死ねば、あなたが感じていた世界は終わる。
感じることはできない。
つまり、世界はあなただったのだ。
わかりやすく言えば、何がどうあろうが、それがあなたの人生だ。
スピリチュアルに手を出しても出さなくても、あなたの人生だ。
ただ淡々と過ぎていく、それがすべてである。
以前も言ったが、死はあなたを完璧に守ってくれる、最高のイベントである。
だからやりたいことをやり、好きに生きればよい。
罪悪感など、捨て去りなさい。
どのように生きようが、いずれ必ず死が訪れる、完璧である。
死があなたを守ってくれる。
空気を吸い、吐き出す。
我々は世界に受け入れられているから、存在しているのだ。
あなたは世界に受け入れられているのだ、これを覚えておきなさい。
どんな状態にあっても、どんな馬鹿な思いが脳裏を巡っていても、ちゃんと呼吸ができる。
それは存在というものが、取って付けたその場限りの概念は、何の力も成さないということだ。
これが、存在が素晴らしいということだ。
あなたの見えている世界の、誰に嫌な思いを与えられても、あなたの見えている世界で、どれだけ経済苦に陥っても、あなたは存在を与えられている、世界に受け入れられているのだ。
だから堂々と生きればよい。
他者や社会の目など、一切気にせず、自分視点で存在をすればよい。
これは、世界が認めている、当然の約束である。
◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法13◆◆
399 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN ID:yGuXYTJz