【方法論】【719さんpar9】「全て存在する」という真実を見る事が大切です。認めることは重要だけど、「選択する」というほうが重要です。「ない」というのを認めても、「選択」しなければいいのです。

達人part
【方法論】【719さんpar9】「全て存在する」という真実を見る事が大切です。認めることは重要だけど、「選択する」というほうが重要です。「ない」というのを認めても、「選択」しなければいいのです。
達人さん
達人さん

なるについてですが、私は、なるは最終到達点なので、メソッドだと思ってないのですが、最終到達点であるからこそ、メソッドとごっちゃになりやすいかも、と思いました。
全てにおいて正解不正解がないので、私の意見も、その中の1つだと思って聞いて頂きたいです。

潜在意識を使うと覚悟を決めたら、自分はどの立ち位置から願望と向き合うのか、というのを決めた方がいいかもです。
つまり、認識変更するのか、しないのか、ということです。
これを最初に決めてしまった方が、そのあと迷わないのかな、と思いました。

現実を見ながら、メソッドをこなし続けて叶えようとするのか、内面を見つめて、認識変更をして、叶っていたことを知るのか、という違いです。
もちろん、認識変更してから、メソッドをしてもいいですし、メソッドで願望を叶えてから、余裕があるところで、認識変更するのでもいいと思います。

ただ、何かにずっと捕われているなら、自分の立ち位置を、今一度見直して、どちらを選ぶか、というのを決めることも必要だと思いました。
潜在意識には、様々なアプローチがあるからこそ、自分はどの立ち位置から行うのか、というのを、ガチガチに決めなくてもいいけど、ある程度の目印があった方がいいかな、と思いました。

そして、私が認識変更をする時に有効だった方法や考え方を、いくつか説明させて頂きましたが、その中で二元論を説明しました。
それは、物事は何か対のモノがあるから認識できる、というものです。

だから、何かに過剰に反応すると、対として、もう1つを過剰に認識しなければいけないから、注意が必要だと説明させて頂きました。
つまり、幸せは、不幸がなければ認識できない、という事です。
この二元論は、願いを叶えるメソッドでも何でもなくて、自然の摂理です。

しかし、潜在意識でよく言われる考え方や、認識の変更をするさいに、自我を納得させる時に、とても有効な真実になります。
つまり、叶ってるも叶ってないも存在する、すでにあったも、まだないも存在する、ということです。
だからこそ、自分はどちらを選ぶのか、ということが大切なんじゃないでしょうか?

また、この二元論を突き詰めていくと、自分とその他の境界線がなくなる、ということが起こりますが、そこは、必要な人だけが体感すればいいと思います。

二元論は、例外無く現れます。
そして、これが認識変更への大きな壁になっているし、なるをしても、適用できない壁になっている、1つの要因かなとも思います。

立ち位置を変えると決心して、内面の世界で叶えた、なるをした、と思っても、現実を見て落ち込んで、そしてまた、この内面が真実であり、現実だ、と認定しなおすこと、これはちょっと苦しいですよね。
苦しい人がいると思います、私も苦しかったです。

ではどうするか、というと、わざわざ、内面が真実だ、現実だ、と思い込む事をやめてみることです。
つまり、内面が真実だ、現実だと、無理にねじ伏せると、現実を否定してることになるうえに、内面が真実だ、現実だ、と思い込む事を認識するためのモノが必要になるので、つまり、壁となる現実がまた現れます。

内面が真実、とすることを、認識変更前にしてしまうと、無意識のうちに、それらは分離になってしまい、苦しいと思います。
分離は、幸せと不幸を交互に見るようなものなので、苦しいと思います。

逆に統合、つまり、全て存在していい事を認めてあげるほうが、現実に振り回されません。

器用にできる人、認識変更した人は、内面が真実、と、瞬時にしていますが、たぶん、全て存在していい、と瞬時に認めている、と言った方が、近いかな、と思いました。
最短な方法で行きたいからこそ、遠回りも認める、という感じですね。

何か、突き抜けないなー、という方は、試してみてください。
内面が真実でもいいんですが、内面の叶った願望が、ただあるという認識の方が楽かなと思いました。
その時、二元論を使ってください。
あぁ、叶ってた世界が在ったんだー、と、なったんだから、叶ってたんだー、と思い出してください。

なるをしても、現実と内面と分離させていることに気がつけば、何かの突破口になるかもしれないです。
統合という存在に気づくと、楽かもしれません。

質問さん
質問さん

恐怖心を持ったまま、内面が真実、というのをやると、その真実に、恐怖心もくっついてきそうだよね

達人さん
達人さん

願望が叶った時は、自分が選択したものが現れるだけだと思うので、そこに感情がどうこうというのは、関係ないと思ってます。

内面が真実なんですが、現実を見て叶ってないと認識して、内面が真実、内面が真実、内面が真実、とするのは、目の前の現実を否定して、ねじ伏せようと無意識にしてしまっています。

器用な人や、認識変更してる人、ある程度慣れてる人は、内面が真実としてるんですが、この人たちの、もっと体感に近い言葉は、内面が真実としたと同時に、ある事を見ている、という感じかなと思いました。
ただ、願望が叶った世界があるんだった、と、シンプルに認識して終わることです。

つまり、それを選択した事を、思い出しているというほうが合ってるかな、と思ったんです。
少なくとも、私の体感では、その言葉の方が近いなと思いました。

ただ、ある、そして、ただ、選択して、ただ、見続けるんです。
ただ、ないというのも、存在を認めてますが、選択しません。

その方が、分離しないし、現実への認識もフラットなので、全ての事を無駄に繋げる事がなかったです。

現実と内面は関係ない、独立してる、関連づけない、が土台にあるけども、感情や自我にまかせて、叶えたい一心で、内面、内面、内面と呪文のようにしても、対比となる現実が力を増すので、どちらの場合でも、淡々とただ見る、ということが大事かなと思います。
その淡々と、を行うために、感情を感じきるとか、完璧認定とか、自愛とかが、直接的にも間接的にも役に立ちます。

内面を真実と見る、という一言だけでは、それが真実だとしても、うまく伝わらないものですね。
ですから全て存在するという真実を見る事が大切だと思ってます。
それは、統合ですね。

叶わないというのがあって、怖いかもですが、それは選択しなければいいだけの話です。
認めることは重要だけど、選択するというほうが重要です。
ですから、ないというのを認めても大丈夫です。

質問さん
質問さん

あるの反対はないだから、恐怖心と共に、ないも出てきそうです

達人さん
達人さん

だから選択が必要なのかなと思います。
あるとないを認めて、じゃあ、自分はどちらを選ぶか、という、シンプルに書くとこれだけなんですが、大抵、ないを認めるのは怖いです。

ですから、逆を言えば、ないが認められないという事は、あるも認められないから、自信が持てずに、ループしてしまったりしますね。

認識変更できたから、叶わないが存在していいと認められたのか、叶わないが存在していいと認められたから、認識変更できたのか、正直よく分からないです。

だからこそ、恐怖心と一緒にないが出てくるのかもしれませんが、これをすれば叶うんだ、頑張って叶えるんだ、という気持ちのほうが、邪魔してるように思います。

叶うんだとか、頑張ってという気持ちが、すでに願望は叶っていないという認識ですし、さらに叶わないという存在を認める事が、怖くてできなくなります。
頑張ってるのに叶わないなんて認められない、むしろ在ってはいけない、という気持ちが出てしまいますからね。

ですから、自愛というもので満たされ、感情を感じて、自分と向き合うということを、願望とか、認識変更とは関係ないことをするのがいいと思います。
むしろ、それらを願望と関係ないと思ってやったほうがいいですね。

質問さん
質問さん

中国にある陰陽の考え方みたいに、二元論はすなわち表裏一体ってことだと思うから、それを心から信じることができて、(認識が変更できて)、そこではじめて、ないの逆のあるに気づけるのかな

達人さん
達人さん

陰極まって、陽になる、真理だと思います。
ですが、苦しくなってしまうかもしれませんので、違った見方もある、という意味で説明しました。
どちらも存在してると認めた方が楽だなと思いましたし、現実への無意識的な否定認識を防げるかなと思います。

最終的に現実で願望を叶えたいからこそ、今いる現実を、無意識的にしろ、意識的にしろ、否定認識していたら、否定という、固定認識でガチガチに固められた現実自体が、動けないです。

現実を動かすために、何が起ころうとも、現実を否定的にみないこと、ジャッジをしないことです。
感情は自動的なものなので、問題ないです。
ないもあるも、存在を認める、という程度のほうがいいと思います。
そして、内面において、自分の望むほうを認識し、選択し、見つめ続ける、という感じですかね。

一見繋がっているようなものが、繋がってないし、繋がってないようなものが、繋がってるし、本当はそれすらもないです。
難しく考えれば難しくなり、簡単に考えれば簡単になってしまうんですよね。

だけど、自分の信じたやり方が一番ですし、自我や感情に振り回されても、気合いで押しとおすのも手です。
ご自分にあったやり方が一番です。

質問さん
質問さん

最初のうちは、まぁ、どっちの可能性もあるよね、くらいに思っておけばいいのかな?

達人さん
達人さん

そういった軽やかさが、もの凄く重要だと思います
心が軽いと、私の話もふーん、ぐらいに思えますし、私の本意としても、潜在意識の活用には、柔軟性があった方がいいと思ってますし、それが結果的に、自分軸につながりますからね。

質問さん
質問さん

高級車を手に入れた自分というのではなく、単に高級車を思い浮かべれば良いと言うことですか

達人さん
達人さん

高級車を手に入れた自分に、内面でなりますよね?
しかし、なる前もなった後も、現実での変化は関係ないので、内面で叶えるわけです。
もう手に入れてるのだから、どんな感情になってもいいし、好きなように過ごせばいいわけです。
現実を見ても、内面とくっつけずに、淡々としていればいい。

ですが、大抵は、何度か現実と内面の違いを見て、自我に飲み込まれる時、自愛してみたり、感情を感じたり、色々するわけです。
しかし、それも効果がない時は、現実に否定的ジャッジをして、なってないと思うことをして、もう一度なるをしようと試みますよね?
ここで、すっと戻れる人はそれでいいのですが、内面が真実だ、内面が真実だ、と、現実をねじ伏せるようにする人もいるんじゃないかな、と思いました。

その内面が真実だ、と無理に思おうとすればする程、現実も同じように力を増すので、また内面が真実だ、と、無理に思おうとする状況にあってしまう。

そのループを断ち切るために、内面を無理やり真実だ、と押し込めるようなやり方より、叶った世界があるんだった、じゃあそれを選択しよう、ぐらいのスタンスの方がすっと入る人がいるんじゃないかな、と思ったんです。
これは内面と思いこむ時、無意識に現実と比べているので、また叶っていない現実が出てきてしまったりします。

それでも別にいいんだけど、苦しいから、なった、ということは、ただ望んだものがそこに在る、というふうに見れば、現実と比較しないぶん、楽だし、意外とそれが、的を得ていると思いました。

そして、叶った世界を、現実でもないし、内面だけでもない、中間みたいな位置に存在しているような認識にしているといいかなと思います。

質問さん
質問さん

高級車を手に入れた自分だと、高級車がないというのも感じます

達人さん
達人さん

あるがあれば、ないを認識しますよね、
どちらも認識できてるなら、あるを選択してください。

質問さん
質問さん

叶わなくてもいい、不都合な現実が起こってもいい、ということを受け入れることは恐いです

達人さん
達人さん

それを受け入れるのは怖いですよね。
叶えるためにメソッドをしていたら、受け入れられないかなぁ、って思います。
ですから、自分の立ち位置を見て、現実を見ながら叶えよう、と思って、メソッドを一生懸命行うのか、現実は無視して、認識変更をして、叶っていたことを知るのか、好きなほうを選べばいいんだと思います。
どちらのアプローチにしても、要は願望が叶えばいいのだから、心の中は、大きく違うかもしれないけど、同じかもしれません。

質問さん
質問さん

なると、自己観察って、相性が良いですかね?

達人さん
達人さん

自分を分かってないと、先に進めないのは確かだと思います。
私は、自愛も、感情を感じる事も、自己観察だと思います。
自分と向き合わなければ、立ち位置も、望んでる事も分からなくなるし、自信も失われるので、認識の変更も難しくなるかもしれません。
なるに限らずですが、自分を観察して向き合う事が、潜在意識には必要だと思います。
そして、突き抜けると、自分と向き合う事が必要であり、必要じゃなくなる、そんな体感になります。
まずは自分を知る事から、つまり、自己観察から始まるのではないでしょうか?

質問さん
質問さん

最近、段々とエゴが静まってきて、穏やかになりつつあるんです

達人さん
達人さん

それは、満たされてる、ということですかね?
自分を自分で満たせること、自分がなにで満たされるのか知っていること、自分の満たし方も分かってること、
もしそうであれば、これらも、認識変更に伴う体感ですよ。
少なくとも私はそうでした、それは気持ちいいですよね。

質問さん
質問さん

でも、何かものたりなくて、これもエゴなんでしょうか

達人さん
達人さん

いや、逆にエゴじゃないと思います。
満たされると、全てが穏やかだから、つまらないんですよね。
ある世界って、つまらないですよね。

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