自分が仕事ができないことと、それについての誹謗中傷に耐えられなくなり、仕事を辞めたいです。
周りに友達とか彼氏とか親しい人もいないのでさっさと死んで楽になりたいと思うのですが、借金残したまま死ぬのは親に迷惑がかかりますし、とりあえず死ぬのは借金返してからにしようと思うのです。
何が相談したいかというと、毎日毎日死んだように生きていて、とてもつらいです、もう疲れました。
仕事を辞めて次の職場が見つかっても、また人に怯えて生活しなきゃいけないのかと思うと本当に怖いです。
よし、死にたいなら、私に残りの人生をくれ。
ゲームをしないか、あなたがプレイヤーで、私は神様ね。
あなたは今死んだ。
生きることは苦痛であるという思いを抱えて死んだ。
しかし私=神様は、そんなあなたを見てとても悲しい。
「生きることは楽しいことなのに、あなたはそんなにも辛い顔をしている。
それでは、私が生を与えた意味がないじゃないか。
そこで、死んだばかりのあなたに、神様はもう一度生を与えることにした。
今からのあなたの人生はゲームです。
どれだけ生を楽しめるかのゲームです。
もう他人の目に怯えなくていい、
もう誹謗中傷を気にしなくていい、
もう仕事の出来を気にしなくていい、
もう借金も気にしなくていい、
あなたはやりたいことをやっていい。
あなたはやりたいことをやっていい、というのは、重要なルールです。
これをしたらどう思われるかなんていうのは、もう気にしなくていい、する必要はない
あなたは自由に振る舞っていい。
自分の一挙手一投足を、他人の目を気にして見張り続ける人生は、死によって・終わったんだ。
あなたは一度死んで、正に完璧に自由になったんだ。
これからの人生は、自分のために、自分を楽しませるために使うことだ。
あなたが、楽しい、嬉しいと感じ、または、自分のやりたいことをして、
振る舞いたいように振る舞ったら、手帳かなんかに性の字を加えていくんだ。
それを10000にすることが、このゲームの目的だ。
これからの人生は、今まで苦しんだあなたへのサービスタイムだ。
どうせ死ぬなら、残りの人生を、このゲームに使ってみないか?
これからプレイヤーには、どんな出来事が待ち受けているのか、ドキドキワクワクだよ。
生きることは楽しいですか、
私みたいな状況だったとして、楽しめますか。
でも、何故かわからないけど、泣けました、ありがとうございました。
あまり深刻になるのはやめよう。
例えどれほど重要であると感じることでも、悩む必要性は皆無なんだよ。
そうやって何事にも思考を巡らせて、頭で捏ねくり回すことはやめてみないか?
思考を止めるという、定番のやつね。
すごく基本的で、簡単だけど、効果はあるよ。
そのうえで、楽しもうとしてみるんだ。
現実は内面の投影だから、あなたが純粋に、ただ楽しもうとして、楽しい人生が展開しないわけがない。
人間関係についても同様だ。
あなたが人と話したり、行動したりするとき、胸の辺りがもやもやしたり、ドキドキしたり、自分の言動がおかしくないか気にしたり、そのほかに不快感がないか、チェックしてみて。
知り合いの笑い声がしたり、ヒソヒソ話しているのを見て、
自分の話をしているのではないか、と気にしたりしていないだろうか。
自分の言動や、他人の行為が気になるときは、
「それは必要ない」と、即座にやめること。
やめられなくても、やめること、何度でもやめること。
そのうち、気にならなくなる。
もやもやや、不快感、胸がドキドキするときは、「心配しなくていいよ」と自分に声をかけてあげたり、ポノポノしてみる。
一人になっても、不快がまだ続くようなら、それを胸で感じてみる。
慣れてないなら、手を心臓の辺りに当てて優しく撫でてみたり、動作やイメージを加えてもよい。
あるいは、目を閉じて、その感情やもやもやなんかを丸い球などのイメージにして、それをあなたが優しく抱きしめるイメージをしてみる。
十分に抱きしめたら、少しずつ、それが消えていくイメージをしてみる。
こちらも、繰り返すことで、もやもやすることは減る。
そして、それらの不快感が減ることで、あなたは他人に対して自由に振る舞えるようになる。
あなたが自由に振る舞うと、別にあなたは何もしていないのに、不思議とあなたに対する他人の態度が変わる。
現実は内面の投影だから、当然だけどね。